パリ万博の消えた貴婦人と客室 (1889?)
1889年のパリの街は活気に沸いていた。フランス革命100周年を記念する第4回万国博覧会が開催されていたのである。この日のために建造された高さ約312メートルのエッフェル塔を最大の呼び物に、博覧会への参加国は35カ国、5月から10月までの開催期間中の来場者は3,225万人。商店や宿泊施設にとっては絶好の稼ぎ時であった。 そんなパリの街を海外旅行中の一組の母娘が訪れた。二人はそれまでインドを訪問しており、パリに寄ったのは博覧会を見物するためであったが、母親は体調が優れないらしく、ホテルに着くや否や、病状はかなり深刻な様相を呈してきた。ホテル付の医者にも手に負えず、他の医師の応援が必要だという。しかし医師は容態の変化に備える必要があり、この場を離れるわけにはいかない。娘は自分で医者を探すべくホテルを飛び出した。 馬車の御者は事態を理解していないのか、それとも所詮他人事かと思っているのか、馬車の走りは精彩を欠いていた。のろのろとパリの街を右往左往し、ようやく頼りになりそうな医者を見つけてホテルに戻ったときには、既に数時間が経過していた。娘はホテルの従業員に母の具合を尋ねる。しかし彼は思わぬ言葉を口にした。 「お客様はお一人で宿泊されておりますが」 従業員が言うには、娘は一人で宿泊しているのであり、母親など連れてきていないのだという。そんな筈はないという彼女の訴えにも彼は首を傾げるばかり。一体何の冗談なのか。実際に母がいる部屋に行けばわかると、娘は従業員らを連れて自室に向かった。だが、扉を開けて彼女は愕然とする。壁紙や調度品……部屋の何から何までが異なっており、母親の姿は影も形もなかった。持っていた鍵と扉の鍵穴は一致する。部屋を間違えたわけではない。 母を診察した医者に聞けばわかるはずだと、娘はホテル付の医者をつかまえて問い質した。しかし彼もまた、「そのような方を診た覚えはありません」と、従業員同様に母親の存在を否定。娘はホテル中の人間に母の行方を尋ねたが、誰一人として母親の行方はおろか、そのような人が宿泊していた事実すら知らないと答えるばかりであった。 こうして母親の痕跡はパリから消えうせた。哀れな娘は気が狂い、精神病院に入れられたと伝えられている。真相は次のようなものであった。母親はインドでペストにかかっており、ホテルに着いた直後に息を引き取っていたのである。だが万博の最中、このような事実が知れ渡ったら街中が混乱し、ホテルの営業は大打撃、パリの威信にも傷がつく。そこでホテルはパリ当局と共謀して、娘を外に出している間に母親を別の場所に隔離し、突貫工事で部屋を改装、関係者全員で口裏を合わせ、最初からそんな人物が存在しなかったかのように振舞ったのだった。 |
【考察】
有名な都市伝説である。方々で語られている(注1)が事実ではない。 冷静に考えればこの話は無茶苦茶である。母親の存在を証明するのは何もホテルの記録ばかりではない。フランスの入港記録など証拠は他にいくらでもあるし、ホテルに入るまでにも相当多くの人に母娘は目撃されている筈だ。また、混乱を回避するのが企みの動機だとされているが、それなら娘に事情を説明したうえで騒ぎ立てないよう説得する方がよほど理にかなっている。ホテルの一室を改装し、口裏を合わせるという大掛かりな企みそれ自体、無駄に関係者を増やして騒ぎを大きくするばかりで本末転倒である。誰か一人真相を吐けば一巻の終わりだ。 荒唐無稽な話であるが、1889年という時代設定が、「この時代なら人権意識も薄そうだし、こんな無茶も通ったかもしれない」と思わせ、一定の信憑性を確保するに至っているのだろう。 とはいえ、話のアラばかり探したところで、言いがかりをつけているだけの感は否めない。以下でより実証的にこの話を考察してみたい。 ■ 複数のパターン 上記概略では最も人口に膾炙している話のパターンを紹介したが、この話には細部の異なる複数のバリエーションが存在する。 (1)年代 (2)ホテル (3)その後の展開 (以上は主としてベン・C・クロウ『アメリカの奇妙な話1 巨人ポール・バニヤン』(ちくま文庫)に拠った) 様々なバリエーションが存在するという事実は、元々の話が非常にあやふやである――つまり作り話であることを類推させるに足るものである。実話であればここまで細部が異なったりはしまい。また、どのパターンにおいても肝心の母娘の名前が明らかにされないあたりも、都市伝説の典型を示していると言えよう。 ■ 出典 次に、この話の出典を探ってみたい。推理小説家エドワード・D・ホックの「革服の男の謎」という短編(『サム・ホーソーンの事件簿W』(創元推理文庫、木村二郎訳)に収録)に、次のような記述がある。
アレクサンダー・ウールコット(Alexander Woollcott 1887〜1943)はチャップリンの「黄金狂時代」を激賞したことで知られる実在した評論家であり、『ローマが燃えるあいだ』(“While Rome Burns”1934)も彼の手による実在の著作である。「革服の男の謎」自体はあくまで小説であるが、ウールコットが1934年の時点で本件について触れているのはまず間違いあるまい。わざわざ実在の人物・作品に嘘を言わせるとは考えにくいからである。 ところが外国のこのサイトによれば、ウールコットが出典として挙げている「デトロイト・フリー・プレス」の記事は存在しないのだという。代わりに同サイトは、「消えた客室」に似た話が登場する最初期のものとして、Belloc Lowndesの“The End Of Honeymoon”(1913)、Lawrence Risingの、“Who Was Helena Cass”(1920)を挙げている。どれも小説である。 結局、どこまで辿ってもエッセイや小説ばかりで、確固たる資料が出てこない。恐らく、19世紀末ごろから「消えた客室」に似たような話がフォークロア的に語り継がれており、ウールコットやBelloc Lowndesがそれを題材に物を書いたのだろう。あるいは、Belloc Lowndesこそがこの話の生みの親なのかもしれない。このようにして一度活字になった話が、いつしか実話として語られるようになったのだろうと思われる。 ■ 無の恐怖 殺人は畢竟、肉体を破壊し、特定の人物を物的に消失せしめる企てに過ぎない。だが、この話においてホテルが行おうとした企ては、特定の人物を物的に消失させるだけにとどまらず、その人物がこの世に存在した痕跡までもを消失させようというものであった。無論、こんなことは不可能である。そんな不可能事を力ずくで実現させようとしているところに、私はこの話の不気味さを感じてならない。 ある人物が失踪し、誰一人としてその人物の記憶を有さず、この世からその人物の記録が一切合財消え去ってしまったとすれば、それはもはや単なる無である。人を無に還そうという単なる殺人を超えた凶悪な意図、そして「存在」という最も本質的な要素が人工的に消去される恐怖が、この話の底には流れている。 |
(注1) |
【参考文献等】
○ ベン・C・クロウ著 西崎憲監訳 『アメリカの奇妙な話1 巨人ポール・バニヤン』 筑摩書房<ちくま文庫>、2000 ○ エドワード・D・ホック著 木村二郎訳 『サム・ホーソーンの事件簿W』 東京創元社<創元推理文庫>、2007 ○ Snopes.com http://www.snopes.com/horrors/ghosts/hotel.asp |
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