2007年の行方不明・失踪事件トピックス




○ 本項では2007年の各種媒体におけるニュース記事から、筆者が興味を覚えたものを気の向くままに紹介している。
○ 
赤字は失踪者未発見の事件であるが、一般に、人が行方不明になったという事実はニュースになっても、その後発見されたという事実はニュースにならないことが多い。情報収集に努めているが、解決済の可能性があることを断っておきたい。


 大阪府泉南市に住む会社員、鈴木猛さん(59)が、2006年12月30日前後から行方不明になっている。1月6日、鈴木さんの二男が関西空港海上保安航空基地に連絡したことで明らかになったもの。
 鈴木さんの二男によれば、12月29日夜、家族に「太平洋で初日の出が見たい」と電話があり、翌30日夜から携帯電話が不通になったという。漁港には鈴木さんの軽乗用車が残されており、30日夜に所有するプレジャーボート(全長5.38m、定員6人)で出港したとみられている。他に乗船者はいない模様。同基地が事故に遭ったとして捜索を行うも、未だ鈴木さんは見つかっていない。

第五管区海上保安本部 http://www.kaiho.mlit.go.jp/05kanku/honbu/jiken/2007/0701.htm


 1月1日から福岡市の元小学校校長(65)が行方不明になっていたが、2月4日、同市西区金武の山中で首を吊って死んでいる状態で発見された。自殺とみられている。
 この校長は、昨年夏、福岡市立小中学校教員採用2次試験において、市教委理事から事前に問題案を聞き出していたとされており、市教委から事情聴取を受けた後、行方不明になっていた。


 2002年10月6日からアメリカ・ミズーリ州のセントルイスで学校に向かう途中に行方不明になっていたショーン・ホーンベック君(15)が、2007年1月、同州カークウッドのアパートで無事に保護された。アパートにはホーンベック君と一緒にもう一人、ウィリアム・ベン・オーンビー君(13)という少年がいたが、彼もまた2007年1月8日から行方不明になっていた少年であった。
 警察は、アパートに住んでいたマイケル・デブリン容疑者を誘拐の容疑で逮捕。地元の人の話では、ホーンベック君はよく友人と外で遊んでいたといい、デブリン容疑者とは親子だと思っていたという。


 北海道空知管内妹背牛町大鳳の無職河村剛秀さん(36)が、1月9日夜、母親に買物に行くと告げて近所のコンビニエンスストアまで車で向かったまま行方不明となっている。当時は吹雪で、雪山に突っ込んだ状態の河村さんの車が道の途中で発見されており、深川署では河村さんが事故に遭った後、徒歩で車を離れて遭難したものとみて捜査を続けている。


 パリ東郊モンフェルメイユの病院で1月12日、生後15日の赤ちゃんが連れ去られ、フランス捜査当局は翌日、赤ちゃんを保護するとともに、連れていた12歳の少女を逮捕した。彼女は赤ちゃんの両親とは面識があり、両親がベビーカーごと赤ちゃんを預けたところ、そのまま行方をくらましてしまったのだという。動機はよくわかっていない。
 少女は当初18歳と主張。14日には16歳と述べるも、15日に母親が届け出て12歳と判明した。少女は放任状態で学校にも通っていなかった。果たして早熟な母性の為せる業なのか、単なる幼稚さの為せる業なのか。


 1月19日、カンボジア北東部ラタナキリ州の密林で、19年前(ソースによっては18年前)に水牛を追ったまま行方不明になっていた少女が再び発見された。だが、両親は素直に喜べなかった。娘はすっかり理性を失い、野生化していたからである。
 この女性の名はロチョム・プンギエン(27)。発見現場となった村では最近、食料や農作物が盗まれる事件が続発しており、村人たちが付近を見張っていたところ、全裸姿の彼女が現れたのである。早速捕らえて調べた結果、女性の右腕に残っている傷跡から、地元警官のサル・ルーさんの娘であることが判明したという次第。
 ところが村人がおかしな点に気付く。彼女の髪は短く、爪は切り揃えられていた。一体誰が手入れをしていたのだろう? また、彼女が行方不明になったという当時の状況にも疑問点があるとのことで、何者かに長期に渡り監禁されていたのではないかという説も根強く囁かれているが、真相は不明のままである。
 発見から50日経った時点でも、彼女はほとんど言葉を話せず、衣服を嫌い、他人を恐れていたそうだが、家族には警戒心を解き、食事も普通に食べているとのことである。


 三重県名張市に住む無職、瀧義一さん(81)が、1月29日に自宅から病院に向かったきり行方不明となっている。名張市ではチラシを1万6千枚作成して情報提供を求めているが、手がかりは掴めていない模様。

 http://blog.livedoor.jp/ttago/archives/51149610.html


 計算機科学分野のノーベル賞とされるチューリング賞を受賞したこともあるアメリカの著名な情報工学者、ジム・グレイ博士(63)が、1月28日からヨットでサンフランシスコ沖に出たきり行方不明になっている。博士は1988年にデータベースとトランザクション処理に関する業績でチューリング賞を受賞し、「データベースの父」と称されるほどの人物。コンピューターの世界での博士の知名度は極めて高い。
 行方不明になるまでマイクロソフト社の研究所でフェローを務めていた関係か、捜索に当たって同社が変わった取組を行った。NASAから博士が消えたと思われる海域の衛星写真を提供してもらい、それをAmazon.comに設けた特設サイトで公開、不特定多数のユーザーの目で博士を探し出そうというものである。
 しかし、この取組も実を結ぶには至らず、2月16日、博士の家族と友人たちは組織的な捜索の中断を決定。これは沿岸警備隊が情報を分析した結果、捜索が完了した海域の外に博士が出た可能性は低いと判断したためである。同警備隊の捜索は2月1日に既に打ち切られており、今後は家族や友人が個人的に捜索を続けるという。
 ちなみに博士の航海の目的、それは海に母の遺灰を撒くためであった。


 岩手県盛岡市の「みたけ養護学校」に通う小学部1年・滝村隆規くん(7)が、2月5日午前から北上川河川敷に遊びに出かけたきり行方不明になっている。NPOの男性スタッフ及び他の男児2人と遊んでたのだが、スタッフが目を離した間にいなくなったのだという。
 川の下流で「子供のような人が流されている」という目撃情報が寄せられており、事故の可能性が高いとみられるが、県警や関係者の捜索にも関わらず未だに隆規くんは見つかっていない。
 隆規くんは身長120p、体重約25s。髪型はおかっぱで、青色のフードつきコート、水色の長靴、黒色と灰色の毛糸帽子を着用。家族によると走り回るのが好きで、以前にも現場付近で30分ほど行方不明になったことがあるという。

http://www.pref.iwate.jp/~hp0802/sousakyouryoku/H19morioka_yukuefumei/0top/yobikake.html


 失踪後12年経っても警察が再捜査を行うことがある。
 1995年(平成7)7月3日深夜、大阪府岸和田市でタンクローリーの運転手(当時22)が、家族に「ちょっと出てくる」と告げて家を出たきり行方不明になった。岸和田署では、男性にトラブルがなかったことから事件性は低いと判断していたが、同年7月4日未明に男性が知人女性宅に「迎えに来てほしい」とおびえた声で電話をしていたことが判明。男性の家族が2007年1月に警察に連絡したところ、再捜査の運びとなったのである。
 この知人女性は2006年の暮れに「ふと思い出した」とのことで、男性の声はかなり切迫していたという。


 失踪者の全てが善良であったり弱者であったりするわけではない。
 永井好文(60。受刑者)は、学習塾を経営していた79年から85年にかけて生徒の親に架空の裏口入学を持ちかけ、199回にわたり計4,583万円をだまし取った詐欺師である。彼は85年8月に起訴を受け、11回の公判を重ねて86年7月に結審、懲役4年を求刑されていたが、その後行方をくらまし、9回設定された判決期日のいずれにも姿を見せなかった。
 ところが、60歳になり人生を清算したかったのか、「けりをつけたかった」と言って2007年1月、京都地検に出頭したのである。
 弁護側は、「被告は被害者に弁償するため、金をだまし取った人を探そうと各地を点々としていた」として執行猶予付きの判決を求めていたが、彼に下ったのは執行猶予無し懲役3年6か月(求刑4年)の実刑判決。「詐欺体質は変わっていない。逃げ得は許されない」というのが裁判官の判断であった。


 ブラジル・サンパウロ市北部のブラジランジアで2007年3月17日早朝、実業家の父(53)とその娘(30)が2人組の男に誘拐された。誘拐犯は父娘を一軒家に監禁、父親に暴行を加えてキャッシュカードの暗証番号を聞き出し、もう一人のサントスという名の仲間の男が娘と共に車でキャッシュディスペンサーに向かう。ここまでは予定通りである。
 ところが予想外の事態が発生する。車の排気管が外れてしまい、親切に拾ってくれたのが、よりにもよって警官であったのである。サントスにしてみれば気が気でない。その様子を不審に思った警官が尋ねる。「そこの娘さんは?」。「友達です」とサントス。ところが娘さんは「人質にされている被害者です」ときっぱり。
 かくしてサントスはその場で逮捕。彼から監禁先を聞き出した警官隊が一軒家を急襲、父親も無事確保された。


 4月21日、オーストラリアはタウンズビル沖で無人のヨットが発見され、乗船していた3人の老兄弟が行方不明になっている。
 ヨットは全長12mほど。救急隊員の話では、エンジンがかかったまま、コンピューターの電源が入り、食事の準備もなされ、更に小型ボートはヨットに残されたまま……と、ここまで舞台装置が揃えば、誰もがこの有名な船に例えたくもなるだろう。「メアリー・セレスト号のようだ」と。
 警察当局によれば事件性は低いとのことであるが、一体この船に何が起きたのかは不明のままである。


 鹿児島市の知的障害者更正施設「こひつじ園」に通所していた岩元修さん(当時19歳)が、2001年8月3日に逃げた犬を追いかけていったきり行方不明になっている。
 岩元さんは施設長らと山中の作業所に向かう途中であったことから、岩元さんの両親が、施設の監督者である県と施設を運営する社会福祉法人「しおん会」を相手取り、注意義務違反であるとして3,300万円の損害賠償を求めていたが、2007年4月20日、福岡高裁宮崎支部において、施設側が謝罪のうえ2,200万円を支払うという形で和解が成立した。
 岩元修さんの身元は今でも明らかではない。


 5月3日、ポルトガルのリゾート地を訪れていた英国人一家の娘が、逗留していたホテルの部屋から忽然と姿を消した。
 少女は、イギリスで両親共に医師を務めるマクカーン夫妻の娘、マデリン・マクカーン(4)。マデリンちゃんは、夫妻が夕食を食べに出かけている間、2歳になる弟と妹と共にホテルの部屋で寝かしつけられていた。ところが夜10時に夫妻が戻ってみると、マデリンちゃんの姿が消えていたのである。部屋の扉と窓は開いていたことから、何者かが誘拐した可能性が高いとみられる。
 この事件はイギリスでたちまち大きな話題となり、5月15日の時点で懸賞金として集まった寄付金は260万ポンド(約6億2,000万円)を超えるに至った。寄付者の中には著名人も多い。「ハリー・ポッター」シリーズの作者J・K・ローリングや、サッカー選手のウェイン・ルーニー等々。更にカトリック教徒である夫妻が5月30日にバチカンを訪れた際には、ローマ教皇ベネディクト16世と直接会見、励ましの言葉を受けている。
 加熱する報道の一方、捜査の進捗状況は思わしくない。ポルトガル警察の初動が的確を欠いたため現場の保存が十分ではなく、マデリンちゃんの着ていた服の情報公開が遅れたことにより目撃情報が十分に集まっていないためである。捜査は迷走し、一時は当の両親が疑われてポルトガル警察の取調べを受けさえもした(後に捜査は取り下げ、担当刑事は捜査から外された)。
 今でもマデリンちゃんの行方はわかっておらず、誘拐犯の目的も定かではない。


 5月19日、茨城県土浦市乙戸で、保育園児のA・Yちゃん(4)が自宅を出たまま行方不明になった。事件に巻き込まれた可能性があるとみた茨城県警は、20日から公開捜査に踏み切り、地元は総勢270人の捜索者、県警のヘリコプターなどで一時騒然となった。
 ところがその日の夕方になり、A・Yちゃんが千葉県柏市の児童相談所に預けられていることが判明する。千葉県のJR松戸駅西口で歩いているところを通行人が発見、通報を受けた松戸署が同相談所に預けていたのであった。
 児童は電車に興味があり、以前にも自宅近くのJR荒川沖駅へ一人で行ったことがあった。


 自衛隊員が行方不明になる事件が続発している。
 5月29日午後2時ごろ、鹿児島県湧水町の栗野岳北側山中で隠密行動の訓練中だった陸士長(20)が行方不明になったが、翌日、近くの霧島演習場まで自力で帰還した。疲労のあまり前方の隊員を見失ったのだという。更にこの陸士長は、10日後の6月8日にも再びレンジャー訓練中に道に迷い、斜面を約20m滑り落ちていたところを同僚に発見されている。
 この例はあくまで真面目な訓練によるものであるが、次のような不届きな例もある。
 11月14日、滋賀県高島市のあいば野演習場で訓練中だった自衛隊第10特科連隊所属の梶原慎吾一等陸士(20)が、小銃などを持ったまま行方不明になった。発見されたのはその翌日、場所は京都市内のネットカフェで、店内に落ちていた客の財布を持ち去ろうとして逮捕されたのである。逮捕されたときの服装は白のジャージ姿で、迷彩服はバッグに入れていた。訓練が嫌で抜け出してきたのだという。

※ この陸士は懲戒免職となった(2008.5.12付記)


 山の遭難事故は毎年後を絶たず、その度に真剣な捜索が行われるが、遭難者の中にはうんざりさせられるような輩もいる。
 5月22日午前0時30分ごろ、岩手県盛岡市玉山区の姫神山で横浜市の男性会社員(53)が遭難し、男性の家族から盛岡署に通報が寄せられた。ところが、県警と消防団計65人がヘリを動員して懸命に捜査していると、その日の夕方になって家族から、「どこにいたかわからないが、8時に帰ってくる」と連絡が入る。なんでも男性は自力で下山し、そのまま新幹線で帰ってくるのだという。
 連絡はそれだけで、その後家族からも男性本人からも連絡はなかった。男性は登山カードも出しておらず、あまりのお粗末さと無礼さに署員は相当ご立腹であったと、毎日新聞の記事は伝えている。なお、消防団の捜索日当は2,400円、ヘリの燃料費は1時間当たり約6万円。全て税金である。


 海上自衛隊との親善目的で、6月12日から15日の日程で東京港に入港していたパキスタン海軍の軍艦2隻から、軍人11人が観光目的で外出したきり行方不明になっている。いずれも男性で、白い軍服を着用。
 11人のうち1人は6月22日に茨城県内で発見され強制退去処分を受けているが、残る10人の行方は未だに判っていない。警察及び入国管理局は、軍人たちが就労目的で離船した可能性が高いとみて捜査を続けている。
 行方不明になっている軍人のうち、8人の観光先は秋葉原であったとのこと。


 6月20日ごろ、マレーシアの宝くじ売り場で働いていた女性が失踪した。当選しなかった人から危害を加えられることを恐れてのことで、この販売所では最近大当たりが出ていたのである。ちなみにマレーシアでは、数年前に、大当たりくじを販売した販売員が嫌がらせの強盗に遭うという事件が実際に起きている。


 アメリカでリサ・ステビックさんが行方不明になり、夫のクレイグ氏が第一容疑者として疑われ報道が加熱する最中、一線を越えてしまうリポーターが登場した。シカゴのテレビ局WMAQのアミー・ジェイコブソンという女性リポーターで、クレイグ氏と水着姿で遊んでいる姿が報じられてしまったのである。しかも、場所はクレイグ氏の自宅であった。
 彼女は局と話し合いの末に退職したが、「自分が男性なら何の問題もなかった」と不満たっぷりの模様。


 インドネシアのジャワ島で7月24日、日本人男性1人が行方不明になったという情報が政府に入った。男性は一緒にいた米国人やシンガポール人計4人と共に行方不明になったとのことで、情報提供者は米国人の妻であった。
 ところがこの4人、シンガポールで元気に過ごしていると判明する。全ては情報提供者の狂言であった。彼女の行方は判っておらず、こんなことをした理由も定かではない。


 世界自然遺産にも登録された北海道の人気スポット、知床半島の知床五湖を訪れていた斉藤徳次さん(73)が、8月7日から行方不明になっている。7日午後2時前に遊歩道で家族とはぐれ、集合時間にもバスに戻ってこなかったことから、家族が警察に通報して明らかになった。
 斉藤さんはTシャツにズボン姿の軽装。なお付近はヒグマの生息地であるという。

http://www.shari-syo.police.pref.hokkaido.jp/kakuka/seikatuanzen/seianiedeninn.html


 失踪事件の多いアメリカでは、行方不明の子供の情報を掲載している牛乳パックが存在するが、そのスクリーンセーバー版ともいうべきソフトが開発された。
 このソフトは、米行方不明及び搾取された子供のための全国センター(NCMEC)が、ソフトウェア会社グローバル・ソフトウェア・アプリケーションと協力して開発したもの。http://www.missingkidsaver.com/でダウンロード可能である。


 オーストラリアはサウスオーストラリア州に住むデズモンド・グレガーさん(56)は、インターネットを通じてアフリカ・マリに住むナターシャという女性と恋に落ち、7月27日、ついに初対面を迎えることとなった。
 ところが行った先のマリで待ち構えていたのは複数の男性。男達はグレガーさんを拉致し、ナタで脅迫するなどして家族に身代金10万ドルを要求した。
 8月9日、グレガーさんはオーストラリアとマリの警察当局により無事救出される。まさに「恋は盲目」。


 クロアチアで1999年から行方不明になっていた男性が8年ぶりに、とある場所で遺体となって発見された。
 その場所とは自宅。部屋はごみで埋まっており、男性は何らかの理由で自宅で死亡したまま、誰にも発見されなかったのだった。失踪直後、警官が自宅を訪れたこともあったが、その警官は中を一瞥して誰もいないと判断したのだという。


 小型飛行機や熱気球による世界一周などで知られ、100以上の世界記録を持つアメリカの著名な冒険家、スティーブ・フォセット氏(63)が、9月3日に小型機でネバダ州の飛行場を飛び立ったまま行方不明になっている。地元警察、ネバダ州州兵、民間航空パトロール隊などによる懸命の捜索にも関わらず氏の行方はつかめておらず、捜索は10月2日に打ち切られた。
 フォセット氏は航空計画を提出していなかったため、捜索範囲は山岳地帯の極めて広範囲に及ぶ。ある関係者は、「干草の中から針を探すようなものだ」と語っていた。

(2009.2.11追記)
 2008年10月3日、カリフォルニア州東部マモスレークス近くの山中で、フォセット氏の遺体と飛行機の残骸が発見された。


 兵庫県尼崎市口田中の無職、小西繁子さん(78)が5月から行方不明になっていることが9月12日に判明、警察による捜索が行われている。生活費として4月に親族が渡していた現金100万円が失われており、失踪直後、自宅に無言電話があったことから、事件に巻き込まれた可能性が高いと見られている。

http://www6.ocn.ne.jp/~kadokura/konisi.htm


 東京都多摩市の中学1年生、H・Mさん(12)が9月1日、家族に「塾が終わったので帰る」と電話で告げたきり行方不明になり、12日に公開捜査が開始されたが、翌13日、渋谷区のファーストフード店で座っているところを発見された。塾に着いた時間がギリギリで母親に叱られたため、家に帰りたくなかったのだという。


 埼玉弁護士会に所属する中村明夫弁護士(50)が、遺産相続や離婚訴訟の着手金計300万円を受け取りながらその後の手続を行わず、8月から行方をくらましている。同会は8月18日付で、同弁護士を退会命令の懲戒処分に処した。


 10月13日、長崎県諫早市の小学校6年生の女子児童(12)を8日間に渡り自宅に連れ込んだとして、大阪市の会社員坂本優介容疑者(20)が未成年者誘拐容疑で逮捕された。
 この手の誘拐事件自体はさして珍しいものではない。例えば、9月30日には三重県津市で清掃業の男(67)が、やはり小学校6年生の女子児童を連れまわして逮捕されている。だが、諫早市の事件は少々変わっていた。女児が「お兄ちゃんは悪くない」と犯人をかばい、県警の捜査にも口を閉ざすという姿勢を見せたのである。
 坂本容疑者と女児が知り合ったのは7月ごろのこと。女児が解説していたブロクに坂本容疑者が書き込んだことがきっかけだった。女児は家族への不満を坂本容疑者に相談するようになり、メッセンジャーで会話をするなど2人は親交を深めていく。そのうちに女児が家出したがっていることを知った坂本容疑者は一線を越えてしまった。「部屋が空いているので家に来ないか」。そして10月6日、女児は書置きを残して家出してしまう。特急電車で諫早駅から小倉駅に向かい、小倉駅で坂本容疑者と合流し新幹線に乗る。その姿を駅の防犯カメラが捕らえていたことが事件の解決につながった。
 大阪市の坂本容疑者宅における生活は、周囲の心配を別にすれば平和そのものであったらしい。坂本容疑者は家の鍵と生活費を女児に預け、女児は弁当や夕食を作っていたという。しかし12歳という女児の年齢が問題であった。現在の日本における性犯罪の刑法規定では、たとえ同意があっても13歳未満の者との関係は許されない。法的な同意を行う能力が無いとみなされるからである。
 長崎地検は坂本容疑者をわいせつ目的誘拐などの罪で起訴。坂本容疑者は、一時は検察の言うとおりにわいせつ目的であると認めていたが、その後の公判でそれを否認、あくまで純粋な恋愛で誘拐には当たらないと主張している。


 本年は食品偽造が各地で相次いで話題となり、漢字能力検定協会が毎年発表する「今年の漢字」にも「偽」が選ばれたほどであったが、そんな偽造を行った会社の社長が一時行方不明になるという事件が起きていた。
 行方不明になっていたのは、一般の鶏を地鶏と偽って販売していた秋田県の食肉加工製造会社「比内鶏」の、藤原誠一社長(76)。罪の意識に駆られ、自殺しようと秋田県内の山中をさまよっていたが、死に切れずに戻ってきたのだった。


 熊本県熊本市で10月24日から小学校6年生の女児(12)が行方不明になっていたが、26日夜、同県内の祖父宅に隠れているところを発見された。家出だという。


 イギリスのある男性(37)が10月に行方不明になり、その3日後、遺体が発見された。遺体は男性の母(58)により確認された後、10月30日に火葬に付された。
 しかし行方不明になっていた男性は生きていた。ノッティンガムで浮浪者となっていたのである。では、一体火葬に付された男は何者だったのだろうか?


 2002年3月21日に、イギリス北東部のシートン渓谷でカヤックに乗ったまま行方不明になっていたジョン・ダーウィンさん(51)が、2007年12月1日、約5年半ぶりに、記憶を失った状態でロンドンの警察署に姿を現した。既に夫は死んだと思い、パナマに移住していた妻のアンさんや他の家族達は、驚きつつも感動の再会を喜び合い、マスコミも一家を祝福した。
 これでこの話は終わるはずであった。が、英紙デイリー・メールがすっぱ抜いた一枚の写真により状況は一変する。それは昨年にパナマで撮影されたとされる写真で、他ならぬダーウィン夫妻が仲良く写っていたのである。途端に死亡保険金目当ての狂言ではないかという疑惑が沸き、ジョン氏は詐欺容疑で逮捕。写真を突きつけられたアンさんは、ついに真相を明かした。
 夫妻は投資のための賃貸用住宅を12件有していたが、資金繰りがうまくいかず借金を抱え込んでしまい、ジョン氏が打開策として思いついたのが狂言失踪であった。カヤックが遭難したと見せかけ、ジョン氏は密かに帰宅する。事実を知るのは妻のアンだけで、他所に住んでいる2人の息子達にすら父が生きているという事実は伏せていた。息子達が自宅を訪れた際は、ジョン氏は他のアパートに身を隠すという念の入れようである。やがて夫妻はパナマに移住し幸せに暮らし始めるが、今年になってビザの再申請が必要となったため、やむなくジョン氏はロンドンに戻り、記憶喪失で何もかも押し切ろうとしたのである。


 横浜市都筑区東山田町の自営業、K・Iさん(36)の長男で中学1年生のK・Iくん(12)が、12月6日から行方不明になっている。午後1時半ごろにK・Iくんが自宅電話から、買物に出ていた母親の携帯電話に電話したのが最後のやり取りで、母親が3時ごろ帰宅したときにはK・Iくんの姿は消えていた。
 K・Iくんは身長150p、体重45s。カーキ色のトレーナー、ベージュのズボン、黒のスニーカー、紺のウェストポーチを着用しているとみられている。軽度の発達障害を有しており、過去にも何度か行方不明になったことがあったが、その際はスーパーで試食したりコンビニでトイレを借りたりしていたことが多かったという。
 この事件はSNSのmixiで大々的に捜査協力が呼びかけられている。mixiといえば、昨年アメリカで行方不明になり、後に遺体で見つかった日本人写真家の捜索の際にも同様の呼びかけが行われたが(参照)、その時は日記がチェーン化して出回ったり、失踪者の家族の電話番号が流出したりと大きな混乱をもたらしている。善意からとはいえ、安易・無闇な呼びかけには注意すべきだろう。

都筑警察署 http://www.police.pref.kanagawa.jp/ps/93ps/93mes/93mes002.htm

※ K・Iくんは2008年1月8日、自宅から約50km離れた千葉県四街道市の路上で無事保護された。「家出して野宿していた」と話しているという。(無事発見につき、固有名はイニシャル表記とした)


 大分県田川市糒の認知症対応型通所施設に通所していた末松スミ子さん(82)が、12月3日午後、施設で職員と会話を交わした後に行方不明となっている。市は防災無線で情報提供を呼びかけ、市民も青色回転灯をともす青パトで市内を巡回。地元の消防団も29、30の両日、同市糒の雑木林や彦山川河川敷、水路などを重点的に計10時間以上捜索したが、手掛かりはつかめていない。


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