サンチアゴ航空513便事件   (1954)




 1954年9月4日、乗員・乗客92名を乗せ、西ドイツ(当時)のアーヘン空港からブラジルのポルトアレグレ空港へ向けて出発したサンチアゴ航空513便(機種:ロッキード社、L−1049スーパーコンステレーション)が、大西洋上で消息を絶った。当然のこととして捜索が行われたが、乗員・乗客の遺体はおろか機体の残骸すら発見できず、原因不明の事故として処理された。

 それから35年後の1989年10月12日、ポルトアレグレ空港に突如正体不明の航空機が現れ、管制塔の許可も得ず着陸した。すわ緊急事態かと駆けつけた作業員達は、機内に異様なものを見た。そこには生きた人間は一人も乗っておらず、乗員・乗客の全員が白骨と化していたのである。

 更にフライトレコーダーを調べた結果、当機が、35年前にアーヘン空港を立って以来消息不明となった、サンチアゴ航空513便であることが明らかになった。35年の時を経て、姿を消した航空機が再び現れたのである。




【考察】

 白骨死体という具体的な恐怖の要素が登場しているためか、かなり印象的な話である。この手の話の中では割と有名な話らしく、「逆バミューダ」と称して紹介されることが多いようである。「USOジャパン」という番組に紹介されたり、2006年1月に放映された「神はサイコロを振らない」というドラマの元ネタにもなったらしい(共に未見)。

 一読して単なるヨタ話だというのはすぐに分かる。第一、死体を載せた飛行機が35年も飛び続けるなどお笑い種である。100歩譲ってそんな話があったとしよう。白骨死体だらけの航空機が突如着陸しようものなら、真相が何であれそれだけで世界を騒がす大ニュースになりそうなものである。だが、そんなニュースが流れたという話は聞かない。Web検索しても出てくるのは上記概要で述べた事件のあらましばかりで、調査委員会が組まれたとか、学者が調査したとか、当然行われそうな筈の話が全く出てこないのである。恐らく1989年10月の新聞や週刊誌を手当たり次第当たったところで、何も出てこないと思われる。

 このような訳で、まず間違いなく作り話であるこの事件だが、単に科学的・常識的にあり得ないと片付けてしまうのは面白くない。常識ではあり得ない出来事が起こったとする話を「常識ではあり得ない」と批判したところで、水掛け論でしかない。話の中から直接矛盾点なり間違いなりを見出してこそ、この話に完全決着がつけられるというものである。

■ そもそも、事故は存在したのか

 そもそも、1954年9月4日にそんな事故はあったのだろうか。過去の航空事故に関しては、外山智士という方が過去の航空事故を実に詳細に調べ上げたサイトが参考になる。(http://www004.upp.so-net.ne.jp/civil_aviation/index.htm)

 このサイトの「世界の航空事故総覧」を見る限り、1954年9月4日には何の事故も起きていない。早速話が胡散臭くなってきた。

 ところで、その翌日にこんな事件が起きている。

 1954年9月5日午前2時31分、オランダ・アムステルダム発アイルランド・シャノン経由アメリカ・ニューヨーク州ニューヨーク行きKLMオランダ航空633便ロッキードL-1049C-55-81スーパーコンステレーション(PH-LKY)が、離陸上昇中にアイルランド・Foynes近郊に墜落した。
 この事故で乗員10名、乗客46名、計56名のうち、乗員3名、乗客25名、計28名が死亡した。
 事故機はシャノンで給油を済ませ、離陸直後に滑走路端から8170ftの地点のシャノン川に不時着水した。
 事故機は、誤って格納したばかりのギアをギアダウンしたために飛行性能が失われ、上昇を維持出来なくなった。機長がフラップ格納時の適正な計器表示を関連付けて解釈出来なかったために、回復に必要な操作をする充分な時間が与えられなかった。
 事故機は1953年に製造された。
http://www004.upp.so-net.ne.jp/civil_aviation/cadb/wadr/accident/19540905a.htm より引用

 細部は大分異なるが、登場する機種がL−1049スーパーコンステレーションと、サンチアゴ航空513便失踪事件と同様である。この事件がサンチアゴ航空513便失踪事件の元ネタなのだろうか?

■ 正体不明の「サンチアゴ航空」

 次に視点を変えて、サンチアゴ航空513便失踪事件に登場する4つの固有名詞、すなわち「アーヘン空港」、「ポルトアレグレ空港」、「サンチアゴ航空」、「L−1049スーパーコンステレーション」が実在するか否かを調べてみた。「L−1049スーパーコンステレーション」に関しては既に1954年9月5日の事故に登場するので実在は明らかであるが、一応調べた結果を掲載しておく。

○ アーヘン空港→マーストリヒト・アーヘン空港 http://www.maa.nl/
   ……空港公式HP。アーヘンはドイツ西方、ベルギー・オランダの国境に位置する都市。

○ ポルトアレグレ空港 http://travel.chu.jp/site/special/hotelclub/66/6605/l
   ……空港のHPではないが、同名の空港が存在するのは確実。

○ L−1049スーパーコンステレーション http://geta-o.maxs.jp/CIVIL/US/LOCKHEED/L1049/L1049.htm
   ……「空の貴婦人」と呼ばれ、今日でも人気のある機体らしい。

 この通り、4つのうち3つに関しては実在が確実である(但し、空港に関しては、1954年当時から存在していたか未確認)。さて、残る「サンチアゴ航空」であるが、これが全く見つからない。「サンチアゴ航空」、「サンチャゴ航空」、「サンティアゴ航空」と、複数の表記で検索を試みるも、同名の航空会社の存在は掴めなかった。そればかりか、「サンチアゴ航空」で検索すると、当事件の話ばかり引っかかる始末である。検索結果の中に2chのスレッドがあり、「サンチアゴ航空とか検索してみなよ。笑っちゃうから」と述べている人がいるが、全くその通りである。

 サンチアゴはチリの首都である。「サンチアゴ航空」とやらが実在するとすれば、当然、チリの航空会社であると考えるべきである。チリ以外の国の航空会社であるとしたら、何故サンチアゴ航空などと名乗っているのか理解に苦しむ。スペインに「トーキョー航空」という航空会社があるようなものだ。そこでチリの航空会社を調べてみると、次のようなページが見つかった。

http://www.geocities.com/Tokyo/Towers/1219/car.htm

 チリ在住の方が作成されたサイト内のページであるが、真ん中辺り「チリの航空会社を知ろう(97年11月11日追記)」という記事を見てもらいたい。チリの航空会社は、ランチリ、ラデコ、ナショナル、アバント、そして「その他2社ほど小さいのがある」との事で、サンチアゴと名のつく航空会社は見受けられない。

 さらに『エアラインハンドブックQ&A100』(ぎょうせい)の巻末、「世界の航空会社コード」を調べてみたが、サンチアゴと名のつく航空会社は確認できなかった。同書とは全く関係ないが、航空会社コードはこのページでも確認できるので、サンチアゴ航空などという航空会社があるかどうか、ご確認頂きたい。

http://www11.ocn.ne.jp/~onokazu1/page004.html

■ 長距離航路

 アーヘン〜ポルトアレグレなどという長距離航路が存在するのかも気になるところである。そこで、旅行ガイドとして名高い『地球の歩き方』により、ポルトアレグレに行くにはどのような空路があるか調べてみた。

 ポルト・アレグレへの行き方(空路)
 サン・パウロ、リオ・デ・ジャネイロからは直行便がある。ブラジリアからはブエノス・アイレス行きが経由する。ほかの都市からは、フロリアノポリスから各航空会社合わせて毎日10便ほどあり所要約50分。クリチバからは同じく毎日18便前後あり所要約1時間。その他の都市からは経由となる。

『地球の歩き方 B21 ブラジル』(ダイヤモンド・ビッグ社)より。下線は筆者。

 つまり、アーヘン空港からポルトアレグレ空港への直通便など存在しない。尤も正確には、「参照した『地球の歩き方 B21 ブラジル』改訂第4版が発行された2005年時点で存在しない」と言うべきか。しかし2005年に存在しない航路が1954年に存在したとも思えない。こんな航路は最初から無かったと考えるのが自然だろう。ついでにこの事件そのものも存在しなかったと言うべきである。

 


【参考文献等】

○ 泉保也 『世界不思議大全』 (Gakken)
○ 外山智士ホームページ http://www004.upp.so-net.ne.jp/civil_aviation/index.htm
○ 『エアラインハンドブックQ&A100』 (ぎょうせい)
○ 『地球の歩き方 B21 ブラジル』 (ダイヤモンド・ビッグ社)




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