消えるヒッチハイカー(タクシーの幽霊)




 車に乗せた筈の人間が、ふと気がつくと消えていた……。

 一般に「消えるヒッチハイカー」と呼ばれるこの都市伝説は大変有名である。日本ではヒッチハイカーと言われてもピンと来ないかもしれないが、タクシーに乗る幽霊の話と聞けば、まず大多数の人が思い当たる筈だ。

 「都市伝説」(Urban Legends)という語を世に広めたジャン・ハロルド・ブルンヴァンの古典的名著、その名も『消えるヒッチハイカー』(“The Vanshing Hitchhiker”1981)には類話が豊富に収録されている。


(類話1)
 スパーダンバーグに住むひとりの男が、ある夜、家へ帰る途中、ひとりの女が道端を歩いているのを見た。彼は車を停めて「送りましょうか」と言った。彼女は、3マイルほど先の兄の所へ行くところだと言った。彼は「助手席へどうぞ」と言ったが、彼女は後ろのシートに座ると言った。途中、しばらく話をしたが、やがて彼女はおとなしくなってしまった。彼はその兄の家まで車を走らせた。その兄のことは彼も知っていたのだ。そこに着き、彼女を降ろそうと車を停め、後ろを振り向くと、そこには誰もいなかった。彼は妙に思い、その家へ行ってその兄に言った。「おまえさんに会うという女を乗せたんだけど、ここに着いたら消えちまってたよ」。その兄はまったく驚いた様子もなくこう言った。「その子は2年前に死んだ妹だよ。彼女を道で拾ったのは君で7人目さ。でも、妹はまだここまで本当にやってきたことはないよ」

(サウス・カロライナ作家事業団が1935年から1941年までの間に収集した話)
(類話2)
 えーと、そう、この話は僕の彼女の友達と、その親父に起こったことだ。2人は別荘から家へ帰る途中だった。田舎道を車で走っていると若い女の子がひとり、ヒッチハイクしてた。2人はその子を乗せてやったんだ。その子は後ろのシートに座った。言うには、ここから5マイルほど行ったあたりに住んでいるっていうんだ。あとはだまって窓の外を眺めてたってさ。しばらくして家が見えたんで、親父は車をそこに着けた。「着いたよ」って後ろを振り返ると、なんとその子は消えてしまっていなかったんだ! そこの家の人に話をしたら、そこの家にはその子そっくりの娘がいたっていうんだ。でも、その子は数年前に行方不明になってしまってるんだ。この通りでヒッチハイクをしているのを見かけた人がいたんだけど、それっきりだったってことさ。もし生きてれば、ちょうどその日が誕生日にあたってたってさ。

(カナダのティーンエイジャーが語った話 1973)
(類話3)
 この話はわたしの知り合いに本当に起こったことです。彼と彼の友達はロサンゼルスの盛り場にあるビヤホールにいました。そこで若い女の子と知り合いました。近く(ベルヴェデア・ガーデン)に住んでいるから送ってくれないかと言われ、3人で車に乗りました。彼女は後ろの席に座りました。寒い夜で、彼女は彼らにオーバーコートを借りました。エヴァーグリーン墓地にさしかかると、ちょっと停めてと彼女が言ったので、車を停めて彼女を降ろしたんです。2人は彼女が戻ってくるのを待ちましたが、あまり遅いのでオーバーコートを盗まれたと思い、腹も立ったので、彼女を捜しに車から出て、墓地に入ってあたりを見回しました。すると、墓石のひとつにそのコートがかけられていたんです。

(ロサンゼルスで収録 1940)


 次に、日本の「タクシーの幽霊」にはどのような類話が存在するのか、今野圓輔『日本怪談集(下)』から幾つか引用してみよう。

(類話4)
 もう20年にもなろうか。伊勢崎の人で覚えている人があろう。自動車の運転手が、客を乗せて東京へ走り、その帰り、東京の某所で若い美しい娘に呼びとめられた。伊勢崎まで行きたいというので、それは願ったりだと乗せて夜の道を走った。ところがその途中、埼玉県の某所からふと気がついてバックミラーをのぞくと娘が映らない。おや、変だぞと振り返ると乗っている。だが変だなあと気になりだした。どうもタダモノではないらしいと恐怖を感じた。指定された伊勢崎の某所でストップしたら娘が乗っていない。あまりの恐怖から、この運転集は寝つき、3日ばかりで死んだ、と当時の各新聞に出た。姓名番地まで詳細に書かれ、この記事の切抜きは、私の土蔵の何処かに保存されてあるはずである。

(住谷修 『春宵愚談』 1949
(類話5)
 築地の菊地病院の前で手にフロシキ包みを持っている若い女を乗せた。病院から出てきたんだなと思った。浜町までといわれて車を出した。「浜町のどこらです?」
 女はわかりやすく道順を話した。しばらく行くとバックミラーに女の姿が写らない。退院で疲れたから寝たんだな、と思った。ゴーストップに来て待ちながら煙草をつけ、体をずらしミラー越しに後のシートを見ると女がいない。仰天して振り返ったがフロシキ包みも何もない。とっさにシートに触ってみたら、ぞっとする程冷たかった。葉が震え、もう後を向く気がしなかった。前を向いたままぼんやりしていると、青になった信号に後の車がクラクションでせかした。とにかく車を出した。その時、後で女の声がしたのだ。
 「悪いけど浜町じゃなしに青山へいって」
 もう声が出ず体でうなずいて真っ直ぐ前だけ見て走らせた。しかし青山近い辺りでまた声が、
 「やっぱり浜町に戻って下さいな」
といった。その通りに車を回した。その後声はなかった。先刻言われた通りに入り、言われた路地の角の煙草屋から何軒目かの家へつけた。後に「どうぞ」と言ったが返事がなかった。
 メーターは何百円かを指している。とにかく車をおり、家の玄関を開けると線香のにおいがした。“矢っ張り――”と思った。出てきた家人に訳を話すとその家の娘さんが一昨日菊地病院でなくなったと言うことだった。ちょうど、葬儀を終えて荼毘にして帰ったところだと言う。何かの因縁と思われて焼香をすませ、料金の代わりに遺族から千円の礼をもらった。
 「それにしても何故一度青山へ行先を変えられたんでしょう?」青山に娘さんの愛人の家がある、そのためだったのでしょうと、遺族は言ったそうである。

(読売新聞 「石原慎太郎氏の友人が幽霊の乗った車に乗った話」 1959)
(類話6)
 京都と大阪の府境、枚方バイパスが洞ヶ峠を越えるあたり、こんもりとした竹やぶを突っ切るところに幽霊が出る。
 三年前の夏である。京都のタクシーが大阪からの帰り、京都に向かって走っているときこの竹やぶ近くで、白い着物の女に出会った。手をあげている。
 「乗せてください」
 運転手は乗せた。ところが、しばらく走っているうちに、車の中がなんとなく寒くなってきた。ひょっと振り返ってみると、女がいない。
 「ひえーッ」
 車をとめてよく見てもいない。女がすわっていたあたりの座席がぬれていた。あとは、ガタガタ震えながら走って帰ったという。

(「週刊読売」 1968)



【考察】

 上に掲げた類話について、全く聞き覚えがないという方はまずいないだろう。

 当サイトは「実話若しくは実話と信じられている『人が消える』事件」の紹介を主としている。この「消えるヒッチハイカー」の話は無論のこと実話ではなく、また実話と信じている人もほとんどいないと思われるが、少なくとも「実話として」語られており、人が消えるという現象を扱っていることから、今回取り上げてみることとした(注1)。

 なお、日本には「タクシーの幽霊」というそっくりな都市伝説が存在する。本項では両者の源が同一であるという仮定に基づき、特に必要が無い限り、両者を区別せずに話を進めることとする。

■ ハイウェイ・ヒプノシス

 「消えるヒッチハイカー」が字句通り実在したと考えるのは愚かしいことである。が、字句通りではないにせよ、人体の生理現象次第では類似する体験が起こりえるのではないか? そんな観点から引き合いに出されるのが「ハイウェイ・ヒプノシス」という説明である。中村希明『怪談の心理学』(講談社現代新書)という本で詳しく説明されている。

 人間が知覚する視覚、聴覚といった感覚は、脳幹網様体上行系という器官を通して脳全体に伝達される。しかし高速道路の運転といった単調な行為が続くと、視覚刺激の単調さから、脳幹網様体上行系に入力される感覚刺激量が相対的に低下し、あたかも催眠状態に陥ったかのような感覚に陥ることがある。これがハイウェイ・ヒプノシスと呼ばれる現象である。人によってはあらぬ幻覚を目にすることもあるのだという。

 こうした現象が起こり得るという点については全く異存が無い。

 だがこの現象は、「走行中に奇怪なものを見た」(例えばトンネル内で幽霊を見た、等)という話の説明にはなっても、「消えるヒッチハイカー」の話を説明することにはならない。消えるヒッチハイカーの話は、(1)見慣れぬ客を乗せ、(2)行き先を告げられて、(3)ふと気がつくと姿が消えている、という3つの要素から成り立っている。しかし(1)〜(3)のいずれか単独であればまだしも、全てが脳機能の一時障害によってもたらされるとは考えにくい。大体、車を停めて不思議な客人を乗せる話の説明に、走行中の生理現象を持ち出すのは理屈がおかしい(注2)。

 そもそもハイウェイ・ヒプノシスのような生理学的現象を用いた説明は、伝説が語るところの現象が実際に発生した場合において初めて成り立つものである。しかし、「消えるヒッチハイカー」の話を、誰が実際に体験したのだろう? 上記概要において幾つか同例の話を収集してみたが、自分がしかじかの幽霊に遭遇したなどという話は1件も無い。どの話も「友達の知り合いから聞いた」式の伝聞である。ハイウェイ・ヒプノシス説は、「消えるヒッチハイカー」を実在の現象と仮定した上での解釈の1つでしかないのである。

 こうした仮定の立て方は問題の本質を見誤っている。およそ怪現象の調査に当たっては、現象をいきなり肯定するのではなく、現象が本当に実在したのかを検討することが肝要である。さもなければ現象を説明したいあまりに、強引な説明を跋扈させるという過ちを犯すことになろう。残された作りかけの食事と救命ボートという伝説を認めたままメアリー・セレスト号の謎を解こうとすれば、海の怪物がどこからともなく湧いて出てくるのである。

 「消えるヒッチハイカー」はよくできた噂なのであって、あまりに話を真に受けるべきではない。このような噂がどこから生じ、何故かくも人口に膾炙したのかを探る方が有意義であろう。

■ 日本が起源?

 一体この伝説の出所はどこであろうか。実はこの「消えるヒッチハイカー」を思わせる話が17世紀の日本に既に存在している。延宝5年(1677)に刊行された怪談集『諸国百物語』に収録されている「熊本主理が下女、きくが亡魂の事」という話である。

 熊本主理という奉公人がある日食事をしていると、飯の中に縫い針が紛れているのを発見した。これは下女のきくが悪心を抱いてわざとやったに相違ないと主理は問い詰めるが、きくは自分の不手際で粗相をしたまでで、決して悪意からではないと否定する。しかし主理は信用せず、きくを苛烈な拷問にかけて殺してしまう。死の間際、きくは「七代先まで恨んでやる」と言い残し、その言葉通り、主理は程なく発狂して死亡。以後、主理の一族は代々きくによって祟り殺されてしまう。そして四代目の主理の時代――

 四代目の主理は、松平下総守殿に奉公して、播磨の姫路に居られしが、主理屋敷より、二里ばかり脇にて、かのきく、「馬を借らん」と云ふ。馬子はなに心なく常の人とこころえ、「日暮れなれば、帰りも遠し」とて、貸さざりしがば、「かき増し(割り増し)をとらせん」とて、八拾文の所を、百六拾文の約束して、主理が屋敷に着き、馬より降りて奥にいりぬ。
 さて馬子は、「駄賃を給はれ」といへば、下々の者聞きて、「何事を云ふぞ。誰も馬を借りたるものなきが」といへば、「まさしくただ今、女郎衆を乗せ参りたり。是非に駄賃を取らん」と、せり合ひければ、いづくともなく、「いつものきくが乗りて来たるぞ。駄賃百六拾文はらへ」といふ。主理が家老聞きて、銭を払はせけり。それより主理、わづらひ出だし、いろいろきくが恨みどもを口ばしり、七日目に相ひ果てられけると也。四代が間、いろいろと祈祷、祈りをせられけれども、その効験もなく、跡目のある時分には、きく来たりて取り殺しけると也。

『江戸怪談集(下)』 (岩波文庫

 主を祟り殺す幽霊を連れてきた馬子にポンと駄賃を払う家老というのも妙な気がするが、そんなことはどうでも良い。幽霊が乗り物(ここでは馬)を借り、目的地に着いた時には姿が無いという展開は、確かに「消えるヒッチハイカー」を思わせなくもない。世界的に有名な伝説の起源は日本にあったと胸が高鳴る。余談だがこの話、有名な別の怪談である、番町皿屋敷の伝説とそっくりなことにもお気づきになるだろう。

 しかし、『諸国百物語』の熊本主理の話が遠いアメリカに伝えられたという証拠は無いし、時代の古さで言えば、既に旧約聖書の中に「消えるヒッチハイカー」と似た話があるという(『消えるヒッチハイカー』p72。ただしブルンヴァンは、旧約聖書の話が「消えるヒッチハイカー」の原型だと主張しているわけではない。)。それに、「消えるヒッチハイカー」は客の消失に気付くという点が話のクライマックスとなっているが、熊本主理の話はあくまで虐殺された下女の祟りが主題であるし、馬子があくまで客を乗せたと信じたまま終わっている点でも「消えるヒッチハイカー」とは異なっている。安易に両者を結びつけるのは早計だ。

 ところが本件について調べていく中で、はっきり日本由来と断言している記述を発見した。とあるブログの記事である。
 http://blog.livedoor.jp/lavis/archives/50928364.html

 詳しい内容は当該記事を見ていただくとして、要点は次の通りである。(1)『諸国百物語』を源流とする講談「番町皿屋敷実録」が明治時代、アメリカに伝わった。(2)「幽霊が人に祟る」という話はキリスト教国であるアメリカに新鮮な驚きを与え、「消えるヒッチハイカー」としてアメリカ全土に広まった。(3)一方日本では戦時中の検閲によって怪談話が途絶えていたが、戦後、アメリカから「消えるヒッチハイカー」の話が逆輸入され、「タクシーの幽霊」と姿を変えて広まっていった……。

 いかがだろうか。紹介しておいて大変恐縮であるが、私自身はこの説に信を置けないでいる。まず説の拠り所となる出典が挙げられていない。特に(1)、「番町皿屋敷実録」がアメリカに伝わったとするならば、その傍証となる何かしらの資料が欲しいところである。第二に、(2)に関して「魂がふらふらと自分の意思で出歩いたり、人に害を為したり祟ったりするのでは、絶対であるはずの神の権威を否定することになるからです。キリスト教では幽霊は悪さしないことになっています」とあるが、これも怪しい。イギリスなどは幽霊譚が掃いて捨てるほど語り継がれるお国柄であるし、シェイクスピア「マクベス」第三幕・第四場には、謀殺したバンクォーの幽霊に脅かされるマクベスの姿が描かれている。幽霊という言葉にしても、英語で幽霊・亡霊を表す“ghost”という単語は1386年頃、チョーサーの“The Legend of Good Women”で使用されたのが初出だという(寺澤芳雄 『英語語源辞典』(研究社) “ghost”の項より)。キリスト教国でも人に災いをなす幽霊という存在はポピュラーだったのであって、日本の専売特許であったという主張は首肯しがたい。

 やはり「消えるヒッチハイカー=日本起源説」は無理筋ではあるまいか。類話が日本にも存在していた程度の理解に止めておくのが賢明であると思う。

 しからば伝説はどこから誕生したのか? この謎については、残念ながらわからないと答えざるを得ない。

 起源を辿ろうにも話のヴァリエーションが多すぎ、最も古い原話が何であるかすら判明しないのである。上記概要に挙げた類話1〜6は、莫大な数の伝説のほんの上澄みでしかない。そのことは引用した『消えたヒッチハイカー』なり『日本怪談集(下)』なりを一読いただければ容易にわかることであろう。両著には山ほど事例が挙げられているが、それすらも途方もない山脈のほんの一部なのだ。しかも、「あるヴァージョンがいつ収集され、発表されたかというデータは、その話が伝説として成立する時期とは関係ない」(『消えるヒッチハイカー』p55)。例えば事例3は1940年にロサンゼルスで収録された話であるが、この話が1940年に誕生したのか、それとも遥か以前に既に誕生していたのか、それすらも特定することはできない。

 出所の謎を解くには筆者は力不足であったと告白せざるを得ない。ブルンヴァンらプロの民俗学者ですら解明できずにいるのだから、最初から私などの出る幕など無いと言われればそれまでであるが……。

■ 奇術と失踪

 「消えるヒッチハイカー」の類話において、共通して付加されている作為的な設定がある。客が必ず後部座席に乗る点だ。類話2、3のように折角若い女性を乗せたなら、助手席に座らせようとするのが男の性というものだろうに、客は何故か後ろに座ってしまう。また「タクシーの幽霊」では、タクシーという舞台設定から必然的に、客は後部座席に乗車することになる(普通、タクシーの助手席に乗ることはない)。私は、これは決して偶然ではなく、物語における必然的な要素であると考える。

 客が後部座席ではなく助手席に座ったのであればどうなるか。運転手は消えた瞬間を目撃することになる。すると、話はこんな具合となる。「彼女を降ろそうと車を停めると、隣の彼女が煙のように消えてしまったんだ!」。これでは馬鹿馬鹿しいという誹りは免れまい。夢でも見ていたんだろうの一言で終わってしまう。

 都市伝説が語り継がれていくためには、そこに多少なりとも信憑性、あるいは確からしさがなければならない(注3)。でなければ単なる与太話として埋もれていくことだろう。「消えるヒッチハイカー」において、この確からしさを裏付けるのが、客が後部座席に座って運転手の視界から消えるという下りである。視界の中の存在が消失するのと、視界から消えた存在が消失するのでは、説得力が異なる。前者は不可能であるが、後者は「もしかしたら……?」という思いを抱かせる。「客は足下にうずくまっていて見えなかっただけ」、「運転手が降りた一瞬の隙に車の反対側から逃走した」等々のそれらしい種明かしが思い浮かぶからである。

 ここで思い出されるのは「カップと玉」という奇術である。カップに入れたはずの玉が消えたかと思えば、再び現れたりするといった手品のことで、最も古い奇術の一つと言われている(高木重朗 『大魔術の歴史』 講談社現代新書)。これに限らず奇術では「隠す」という作業が不可欠である。隠さずに現象を起こすことができればその方が凄いのであるが、そんなことは無理なので、一旦どこかに隠して細工を施す(あるいは隠したように見せかける)必要があるからだ。

 「隠す」という行為が重要な役割を果たしている点で、奇術と「消えるヒッチハイカー」はよく似ている。「消えるヒッチハイカー」は客をさりげなく後部座席に追いやることで、「タクシーの幽霊」はタクシーという舞台設定を用意することで、失踪者を一時的に隠蔽し、話を聞く者に「何かが起きた」という想像の余地を与えている。このような奇術を思わせる語り口の上手さが、当該失踪譚を有名なものとしている一つの要因であると私は思う。

 「消えるヒッチハイカー」のみならず、奇術と失踪譚は本質的に類似している。目の前で人が何者かに誘拐されたり消えたりしたのであれば、それは単なる誘拐や事故に過ぎないのであり、失踪とは基本的に他者の目の届かない領域で――奇術師がテーブルの裏で細工を施すように――発生するものだからである(注4)。

 もっとも、奇術で消されたものは必ず帰ってくるが、失踪したものは帰ってくるとは限らない。



(注1)
 このような都市伝説は、以前にも「パリ万博の消えた貴夫人と客室」で取り上げている。

(注2)
 ただし、「消えるヒッチハイカー」の不可思議な点のいくつかがハイウェイ・ヒプノシスで説明できるのも事実である。例えば類話5などは、疲労した運転手がバックミラー中の女性客の姿を見失ったという話に解せなくもない。もっとも車を停めると客がいなくなっていたことまでは説明がつかないのであるが。

(注3)
 ここでいう「確からしさ」とは、あくまで一般人にとっての意であって、科学者、ガチガチの懐疑主義者といった人達は除く。

(注4)
 この原理に従わない、「目の前で人が消えた」タイプの失踪譚もあるにはあるが、話の信用性や神秘性は格段に落ちる。デイビッド・ラング失踪事件は家族の目の前で消えるという話だが、いかにも眉唾物の話であるし(実際、作り話に過ぎない)、遊泳中に急に海に沈みこんで消えたハロルド・ホルトについては、大抵の人がまず常識的に海の事故を考えることだろう。

【参考文献等】

○ 高田衛・校注 『江戸怪談集(下)』 岩波書店<岩波文庫>、1991
○ 中村希明 『怪談の心理学―学校に生まれる怖い話』 講談社<講談社現代新書>、1994
○ ジャン・ハロルド・ブルンヴァン 『消えるヒッチハイカー』 大月隆寛・菅谷裕子・重信幸彦訳、新宿書房、1997
○ 今野圓輔 『日本怪談集 幽霊篇(下)』 中央公論新社<中公文庫>、2004




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