貨物船ナロニック号失踪事件 (1893)




 1893年2月11日、イギリスの名門海運会社、ホワイト・スタ・ーライン社の大型貨物船ナロニック(Naronic)号が、ニューヨークに向けてイギリスのリバプール港を出港した。

 ナロニック号にはアメリカ向けの様々な貨物が積み込まれており、その中には10両もの蒸気機関車までもが存在した。全長141メートル、総トン数6,594トンと、当時としては大型の貨物船の部類に入るナロニック号とはいえ、1両当たり100トンを超える機関車がワイヤーで甲板に固定された状態での航海は、決して容易でなかったことだろう。

 しかしナロニック号は、機関車よりも一層奇妙な荷物を積んでいた。生きた牛である。

 当時はまだ冷凍技術がそれほど発達しておらず、精肉をより新鮮な状態で運ぶためには、牛を生きたまま運ぶのが最善の方法であった。ナロニック号の第二甲板には最大1,050頭の牛を収容できる牛小屋が備え付けられており、乗組員とは別の要員14名が航海中の牛の世話に当たっていた。牛も人間同様、航海で疲労もすれば船酔いだってする。あまりに衰弱してしまえば、折角無事にアメリカに荷揚げしたところで、検査に通らず売り物にならなくなってしまう。したがって牛の世話には細心の配慮を要するわけである。

 さて、ナロニック号の到着予定日は2月21日であったが、数日を過ぎても同船がニューヨークに到着する気配は無かった。ナロニック号には無線装置が搭載されておらず、ナロニック号の積み荷の代理店は気を揉んだが、1日2日の遅れは当時としてはよくあることである。しかし、7日を過ぎた2月28日になっても一向に到着する様子が無いことから、代理店はついに状況の調査に乗り出した。

 同時期にナロニック号とほぼ同様の航路を航行してニューヨークに到着していた船舶の船長達に、航海の状況を尋ねたところ、この航路は14日から17日にかけて荒天に見舞われていたことが判明した。が、それは決してスケジュールが乱れたり、船が遭難したりする程のものではないとも彼らは付け加えていた。ましてナロニック号は大型船であるうえ、船体内部は8つの水密隔壁で区切られ、容易に水没しない構造である。そこで船主や代理店は、船は沈没したのではなく、何らかの事情で航行不能になり、途中のアゾレス諸島やバミューダ諸島などに立ち寄り、そこから海底電線を用いた電信で連絡してくるだろうと判断した。

 ところが3月21日(注1)、イギリスの貨物船コヴェントリー号が、「NARONIC」と記された2隻の空の救命艇を発見したのである。やはりナロニック号は遭難し、大量の牛と共に海の藻屑と消えていたのだった。

 しかし不可思議であるのは空の救命艇である。救命艇には大きな損傷などはなく、うち1隻の救命艇にはオール一式が未使用のまま残されていた。補助の帆柱が立てられていたことから、乗組員が救命艇で脱出を試みたのは明らかである。難を逃れた彼らはどこに消えてしまったのであろうか。

 やがて19年後の1912年、ナロニック号と同じホワイト・スター・ライン社の豪華客船が、ほぼ同海域を航行中に氷山に衝突して沈没する。その船の名をタイタニック号といった。



【考察】

 日本では非常にマイナーな事件である。本文を公開した2009年5月23日時点で「ナロニック」という単語をgoogle検索にかけた結果は、当方のサイトのみであった。ワラタ号の事件の紹介で大いに参照させていただいた大内建二氏が『あっと驚く船の事件』(光人社NF文庫)で取り上げなければ、私も本事件を知ることはなかったであろう。

 失踪事件という観点から見た場合、この事件には大きく二つの謎がある。一つは「船は何故消えたのか?」。二つ目は「救命艇に乗った乗組員はどこに消えたのか?」。

 『あっと驚く船の事件』では両者を説明する無難な説明がなされている。ナロニック号は荒天に遭遇していた。これは当時の調査で明らかになっている。しかも同船は100トンの機関車を10両も積載していた。荒天による横揺れで機関車を繋いでいたワイヤーが切断され、機関車が横に移動、数百トンもの重心移動がなされた結果、バランスを失ったナロニック号は横転、着水していた救命ボートも横転の余波であっという間に波に呑まれたのだろうというのである。

 私は海難事故については何の専門的知識も持たないが、この説は至極もっともで、非常に可能性が高いのではないかと思う。

■ 瓶詰のメッセージ、そして氷山

 一方で、「ナロニック号は氷山に衝突して沈没したのだ」という説がある。ホワイト・スター・ライン社の所有していた船舶を紹介する海外のサイト“Titanic and Other White Star Line Ships”のナロニック号の項で、マーク・M・ニコルという人が紹介している。

 この説の根拠となっているのは、後にアメリカ及びイギリスで発見された、ナロニック号の乗員が残したとされる瓶詰のメッセージである。メッセージは合計4通発見されており、そのうち第1、第4のメッセージには取り立てて大した内容は記されていない。が、第2、第3のメッセージが氷山の衝突に言及していたのである。

 最も記述の詳しい第2のメッセージは、1893年3月30日にヴァージニア州で発見されたもので、ナロニック号が2月19日午前3時10分、吹雪の最中、氷山に衝突して沈没しつつある状況を説明するものである。書き手は末尾の署名に従えば飼育係のJohn Olsenなる者で、生存の見込みが無いと判断、「みんな、さようなら」という言葉でメッセージは終わっている。

 多少なりとも懐疑的な人ならば、まずは悪戯の可能性について考え始めることだろう。瓶詰のメッセージなどというものはいかにも小説的で胡散臭いからだ。当時のイギリスの事故調査委員会も同様に考えた。委員会は、(1)事故が発生したと思われる海域に氷山の目撃例が無いこと、(2)John Olsenなる者はナロニック号の乗員リストに存在しないことを理由に、メッセージは信ずるに足りず、事故原因も氷山の衝突などではないと結論した。

 しかし悪戯だとすると、別の疑問が生じてくる。このような手の込んだ悪戯を誰がするのか? 瓶詰メッセージは計4通、それも大西洋を挟んだアメリカとイギリスで2通ずつ発見されているのである。同一人物が海を跨いでメッセージをばら撒いたのか、それとも複数人がアメリカとイギリスで示し合わせてメッセージを残したのか。いずれにせよ、地味な悪戯の割に手間暇がかかりすぎているのは否めない。ましてや誰が得をするというわけでもない。

 またマーク・M・ニコルは、調査委員会の結論に対して次のように反論している。まず(1)について、実は当時の汽船が事故海域付近で氷山を目撃していたことを、当時の新聞から突き止めた。また(2)については、当時の乗員リストには誤りが多い(タイタニック号の乗員リストにも33の主要な誤りがあるという)事実を指摘したうえ、ナロニック号の乗員リストにはJohn Olsenとよく似たJohn WatsonあるいはJohn O'Haraなる飼育係の名前が見られることを指摘している。

 では瓶詰のメッセージは、正真正銘、悲劇に見舞われたナロニック号の最後のメッセージだったのだろうか。しかしマーク・M・ニコルは一方で、フィル・マローンという人がタイタニック号の沈没現場(ナロニック号の救命ボートが発見された場所から近い)から瓶詰メッセージを投棄した実験結果についても報告している。その瓶詰は16か月後にアイルランドで拾われたのであるが、ナロニック号から投棄されたとされる第3のメッセージは、沈没からわずか4か月後の1893年6月に発見されているのである。これはあまりに早すぎる。

 結局のところ、瓶詰のメッセージについては真偽不明と言わざるを得ないようだ。

■ 海に呑まれた命達

 ナロニック号の事故原因が積み荷の重心移動にあったのか、それとも氷山への衝突であったのか、真相は闇の中である。研究が進めばいずれ解決されると期待したいところだが、今になって新情報が発見される可能性は低かろう。ナロニック号の乗員達は一人残らず海の藻屑と消え、海の事故ではそう珍しいことではないが、彼らの遺体すら見つかっていないでいる。

 消えたのは何も乗員だけではない。思い出してほしい。この船は千頭もの牛を乗せていたということを。哀れな牛たち――無事に到着したところで食肉にされる運命にあった――もまた、この世から消えていったのである。

 遭難時のナロニック号では阿鼻叫喚の絵図が繰り広げられたであろう。牛達が異変を感じ雄叫びをあげるも、人間達は逃げるのに必死で構っている余裕はない。牛達は当然のごとく見殺しにされたのである。別にその事を非難するつもりはない。人間社会においては、人間が常に第一であるのは致し方ないことだ。が、やるせない気持ちになるのは否めない。きっと飼育係も同じような気持ちを抱いたことだろう。快適とは言えない航海を共に過ごした間柄であれば。

 海に投げ出され、もがきながら波間に呑まれていく牛達。その有様を救命ボートのうえで見つめていた生き残った人間達もまた、程なくして海に引きずり込まれていった。やがて海は凪ぎ、静寂が訪れる。

 タイタニック号に先立つおよそ20年前、このような悲劇が起きていたことについて、今日知る人は少ない。



(注1)
 “Titanic and Other White Star Line Ships”では3月4日〜5日のこととされている。

【参考文献等】

○ 大内建二 『あっと驚く船の事件』 光人社<光人社NF文庫>、2009
○ 
Titanic and Other White Star Line Shipsよりナロニック号の項 (2009.5.17閲覧)




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