メアリー・セレスト号(マリー・セレスト号)事件  (1872)




 1872年12月5日の午後、ジブラルタルに向け、ポルトガルのリスボンから西に700kmほど離れた大西洋上を航海中の英国船、「デイ・グラシア号」のモアハウス船長は、一隻の奇妙な帆船が漂流しているのを発見した。奇妙というのは、その船が理由も無く右舷開き(帆を左側に広げること。風が右から吹いた時にこの状態になる)で帆走していたからである。明らかにおかしいと感じたモアハウスは、船に呼びかけ、信号を発したが、船からは何の返事も無く、船上に人影すら見当たらない。船体には、「メアリー・セレスト(Mary Celeste)」(注1)とあった。

 メアリー・セレスト号は、アメリカ船籍を有する全長31m、282トンのブリガンディン型帆船で、原料アルコールを積み、11月5日にニューヨークからイタリアのジェノヴァに向けて出帆していた。乗組員は、ブリッグズ船長とその妻セアラ、2歳の娘ソフィアに、乗務員7人を加えた計10人。モアハウスはこの船を知っていた。彼はブリッグズ船長と友人で、出帆前に会食をしたばかりか、ニューヨーク港では互いの船を隣り合わせに接岸していたからである。デイ・グラシア号がニューヨーク港を出帆したのは、メアリー・セレスト号が出帆した10日後であった。

 モアハウスは一等航海士のオリヴァー・デヴォー他2名に命じ、メアリー・セレスト号を調べさせた。ボートで接近し、船によじ登る3人。船上には誰もいない。救命ボートが失われており、乗員は何らかの理由で船を棄てたのだと考えられた。しかし何故か? 甲板は嵐で傷んでおり、甲板の下には海水が侵入していたが、全体として大きな損傷は見られず、船を棄てる理由が見当たらない。

 続いて3人は船内を調べ始める。暴力の形跡は無い。食料は十分、衣服も残ったまま。積荷の原料アルコールも残されたままであったが、樽の一部が壊れて中身が流出していた。船長室には航海日誌が残されていたが、アゾレス諸島の西160kmに位置しているという11月24日の記述を最後に途絶えていた。また、経線儀や六分儀といった航海計器類が失われており、やはり――人影は見当たらなかった。

 乗組員失踪の謎は不明のまま、モアハウスはデヴォーに命じ、メアリー・セレスト号をジブラルタルに入港させる。海難救助料が手に入ると思っていたモアハウスを待っていたのは法廷であった。ジブラルタルの官憲が疑惑を抱いたのである。「ブリッグズとモアハウスが共謀して事件をでっちあげ、救助料をせしめようとしているのではないか?」。一方、この説を自国民に対する愚弄と受け止めたアメリカ側は、こう反論する。「ブリッグズは高潔な人格者である。それに船の売却益は海難救助料を上回る(ブリッグズはメアリー・セレスト号の共同所有者の一人であった)……」。その後の調査で共謀の疑いが弱まると、今度はモアハウス達がメアリー・セレスト号に海賊行為を働いたのだという説まで飛び出した。最終的にはいずれの疑いも晴れたものの、モアハウスにしてみれば船を救ったつもりが、とんだ大迷惑を被った格好であった。

 米英両国を巻き込んだ論争が繰り広げられたものの、結局、メアリー・セレスト号の乗組員の行方は不明のまま、やがて事件は忘れ去られていった。ところが、デビュー前のアーサー・コナン・ドイル――シャーロック・ホームズの生みの親――がこの事件に目をつけた。彼は事件の細部に手を加え、白人に恨みを抱く一人の黒人が船を乗っ取るという筋書きの短編小説、『J・ハバカク・ジェフスンの遺言』を書き上げる。もっともらしい書きぶりのこの小説は、メアリー・セレスト号事件の主任検察官が「J・ハバカク・ジェフスンなる人物は存在しない」と大真面目に反論したこともあって大きな評判を呼び、ドイルは作家としての地歩を固め始める。

 同時に、メアリー・セレスト号事件も再び蘇った。以後、メアリー・セレストの名は史上最も有名な幽霊船の名として、虚実を合い混ぜつつ今日まで語り継がれている。

 


【考察】

 誰でもメアリー・セレストの不気味な名前を聞き知っていよう。UFOにおけるアダムスキー、未確認生物におけるネッシー、未解決殺人事件における切り裂きジャックのようなもので、メアリー・セレスト号の名は謎の失踪事件の代名詞となっている。人が跡形も無く消え失せた光景を「メアリー・セレストのよう」と形容するのは、今となっては実に陳腐な表現だ。

■ 作りかけの朝食、救命ボート……

 この事件はしばしば、作りかけの朝食、手付かずの救命ボート云々といった、不気味な情報を付加されて語られる。だが、こういったおどろおどろしい情報は全て出鱈目である。実際の船の状況は上記概要に書いたとおりであり、作りかけの朝食など残っておらず、救命ボートは消えていた。以上の点については疑いを差し挟む余地が無い。

 何故ならば、メアリー・セレスト号事件は英米両国で侃侃諤諤の議論が交わされた事件であり、裁判資料や保険会社の作った資料が豊富に残されているからである。それらはCharles Edey Fay『The Story of “The Mary Celeste”』(未訳)に詳しいが、同書によると、「船室には食べ物も飲み物もなかった」旨の法廷証言がはっきり残っているのである。従って、作りかけの朝食などというものは、最初から存在しなかったと考えるのが妥当である。

 この主張に対抗するには、裁判資料があてにならないと論ずるか、さもなくば他のより有力な反証を持ち出してくる必要がある。しかし、自分が知る限り、朝食があったとしている文献は、どれも何とはなしに朝食がありましたと書いているばかりであり、法廷証言が存在する事実を取り上げて「それは違う。朝食はあった」とする文献は皆無である。裁判資料以上に、これら主張に重きを置く価値を見出す事はできない(余談だが、証拠の優越に関する筆者の考えについては「イヌイット村人集団失踪事件」でも述べている)。

 また、メアリー・セレスト号は12月5日に発見されたのであるから、作りかけの朝食が発見されるためには、同日か遅くとも前日には朝食の準備がなされていなければならない。しかし船に残されていた航海日誌は11月24日で終わっており(注2)、失踪はこの日か、せいぜい翌日に起こったと考えられる。もし朝食が残っていたとするならば、10日余りも船内に放置されていたことになるが、そんな食事を「作りかけ」などと表現するのはいかにも不自然であろう。少なくともコーヒーは冷め切っている筈である。

 救命ボートも然り。救命ボートが無ければ、船員がこれを用いて船を脱出したと考えるのが最も妥当な解釈であり、事件の謎は大幅に減じられる。それゆえ救命ボートが存在したか否かという問題は重要なのであるが、朝食同様、裁判記録により、救命ボートが残っていなかったという事実が明らかになっている。メアリー・セレスト号事件を一際印象深くしている、作りかけの朝食、救命ボートといったものは、後の物語作家達がこしらえた舞台装置に過ぎない(注3)。

■ 船で一体何が起こったか?

 従って、作りかけの朝食も救命ボートも存在しなかったという点に立脚して謎を考えていかねばならない。何故船員達は船を棄てたのか? 主な説を以下に列挙してみたい。

1 共謀説
 ジブラルタルのイギリス官憲が最初に疑った可能性であり、ブリッグズ船長とモアハウス船長が顔見知りであったことが根拠となっている。アメリカ側が強く反論したのは上記概略で述べたとおり。
 「ブリッグズは高潔な人格である」といった主観的な意見は脇に置くとしても、船の売却益の方が海難救助料を上回ること、ブリッグズが事件後も本土に残してきた幼い息子と再会していないこと、妻と幼い娘を連れて行く必然性が無いこと、といった問題がある。

2 襲撃説
 海賊、またはデイ・グラシア号がメアリー・セレスト号を襲撃したという説。
 船内に暴力の跡は見られなかったという反証が存在する。また、海賊が襲ったというのであれば、何故船の積荷や食料を残していったのかという疑問が残る。

3 予期せぬ事故説
 船に予期せぬトラブルが発生、乗員が逃げ出したとする説で、最もありきたりであると同時に現実味のある説である。事故の内容は、岩礁への衝突、スコール、竜巻……等々多岐に渡り、一つ一つ詳述していてはきりがない。
 事故説の難点は、発見時のメアリー・セレスト号の損傷が大したものではなかったという点を上手く説明できない点にある。メアリー・セレスト号は十分航行可能な状態であったというのは、ジブラルタルまで普通に航行できたという事実からも明らかである。経験豊富なブリッグズ船長が、その程度の損傷で船を遺棄するのは不自然だ。勿論、どんな冷静な人間でも慌てることはあろうから、絶対に有り得ないとまでは言い切れない。

 アルコール爆発説
 積荷の原料アルコールの樽が破損していた点に着目したのがこの説で、気化したアルコールが爆発し、それまでアルコールを運んだ経験のなかったブリッグズ船長(更に彼は清教徒であり、アルコールとは無縁であった)が慌しく船を遺棄したというものである。予期せぬ事故が発生したという点で説3の一種と言えるが、ブリッグズが何故慌しく船を棄てたのかという疑問に答えており、特筆に値する。
 問題はそのような爆発が本当に起きうるかという点であるが、この説はモアハウス船長のほか、メアリー・セレスト号の船主代表であったJ・H・ウィンチェスター船長も唱えている。全く有り得ないという訳でもないのだろう。

5 麦角菌説
 食料のパンに使われていた小麦が麦角菌に汚染されており、その幻覚作用で乗員が発狂、海に身を投げてしまったとする説である。
 しかし仮に発狂したとして、果たして10人全員が海に飛び込んでしまうものかという疑問が残る。何人かは船室に残っていそうなものだろう。また、オリバー・デヴォーの証言によれば、デイ・グラシア号の水夫が残りの食料に手をつけたが、何ら体調の変化は見られなかったとのことである(注4)。

6 UFO誘拐説、怪獣襲撃説……
 説明のつかない怪事件には必ずといって良いほどこの手の説が登場する。だが、他のより現実味のある説を退けて、これら説を採用する必然性は無い。こういった説は、そうと信じたい人が唱えるものである。

■ 『四次元の謎』に見る解釈

 以上は既に手垢まみれの話をなぞったに過ぎないが、ここで一つ変わった視点からの解釈をご紹介したい。斎藤守弘という人の『四次元の科学』という本で紹介されている説で、イギリスの海洋小説家ローレンス・J・キーチングという人が、メアリー・セレスト号の生き残りの船員から聞いた話だという。この『四次元の科学』は朝食と救命ボートの存在を何ら疑うことなく肯定してしまっており、一見すると俗流怪奇譚を述べただけのつまらぬ本に過ぎないように思われるが、さにあらず。説の要諦を以下に箇条書きしてみよう。

(1)メアリー・セレスト号は経済的に困窮しており、積荷を積んだ後、数人の水夫に逃げられてしまった。
(2)そこで近くにいたデイ・グラシア号の水夫を3人借りて出港した。
(3)ところが航海途中、船長夫人が横揺れしたピアノに押し潰されて死亡。船長も悲嘆のあまり海に身を投げてしまう。
(4)残された船員達は自分達が船長夫妻を殺したと思われることを恐れ、アゾレス諸島のサンタ・マリア港に入港し姿を消す。
(5)メアリー・セレスト号に残ったのは料理番のペンバートン青年と、デイ・グラシア号から来た3人のみ。4人はデイ・グラシア号の後を追い、4日目の朝追いつく。その時、メアリー・セレスト号の中では朝食ができあがっていた。
(6)デイ・グラシア号の船長は経緯を聞くと、無人船を救援したことにして賞金を得ようと画策。ジブラルタル入港後、メアリー・セレスト号の4人の乗組員の存在を秘して、その他はありのまま報告する。できあがっていた朝食の事も……。

 この説、一見もっともらしいが、冷静に考えてみれば色々とおかしい点がある。朝食の存在を認めてしまっている点もさることながら、第一、4人の乗組員について秘密にするならば、併せて朝食も海に棄てるなどして秘密にすれば良さそうなものである。それを「朝食だけ残されていました」などと変に不自然な話にする筈があるまい。それに、料理番のペンバートン青年とは何者か。記録に残っているメアリー・セレスト号の料理人はEdward W Headという人物であり(注5)、ペンバートンとは似ても似つかぬ名前である。他の乗組員にもペンバートンという名の人物はいない。さっぱり合点のいかぬ点ばかりである。

 かように問題のある説ではあるが、個人的には中々興味深い。メアリー・セレスト号事件を現実的に解釈しようとする場合、まず残された朝食という不確実な情報を取り払うのが本筋である。ところがこの説は朝食の存在を肯定したまま合理的な解釈をしている。他で見かけない、根本的な発想が異なる説であるので紹介してみた次第である。

■ 永遠の無人船

 さて、縷々述べてみたが、謎の失踪事件の倣いとして、今では真相を突き止めるのは不可能であろう。私個人はアルコール爆発説が最も確からしいと感じている。あるいは、予期せぬ事故が発生したうえでアルコール爆発が発生したという複合説が妥当なのかもしれない。だが、厳密に原因を特定することは難しい。

 外部からの侵入も内部からの脱出も不可能な密室で、一瞬にして人が消えたとすれば、それはまさに謎と呼ぶに相応しい。メアリー・セレスト号は、(1)周囲を海に囲まれている(しかもボートは残ったまま)、(2)作りかけの朝食、という2つの要素が付加されたことで、謎の失踪事件の一つの雛形となった。「メアリー・セレスト号」の一語を出すだけで事件が謎めいているということを説明する事ができるのは、物を書いたり話をしたりするうえでは非常に便利である。救命ボートや朝食など無かったと早い段階で判明しながらも、相変わらず両者が残されていたかのように語られるのは、こんなところに原因があるのかもしれない。

 結局メアリー・セレスト号は、未来永劫、謎の無人船として語り継がれていくのだろう。

 


(注1)
 “Mary Celeste”であるので「メアリー・セレスト」が実際の発音に近い。“Marie Celeste”であれば「マリー・セレスト」と発音するのが妥当だが、これはコナン・ドイルが本事件を題材にして書いた小説、『J・ハバカク・ジェフスンの証言』における誤った表記である。

(注2)
 航海日誌が11月24日で終わっているという事実が都合の悪い書籍では、日誌を12月4日まで引き伸ばし、「我が妻ファニーが……」という記述が日誌の最後に記されていたとしている。しかし、これは作りかけの朝食云々と同様、単なる創作に過ぎない。
大体、ブリッグズの妻はセアラという名である。

(注3)
 私はつい最近まで、この卓越した舞台装置を考案した者こそコナン・ドイルであると思い込んでいたのだが、彼の『J・ハバカク・ジェフスンの証言』では、救命ボートが残っていた旨に触れられているものの、作りかけの朝食などという話は一切出てこない。

(注4)
 J&A・スペンサー『世界の謎と不思議百科』(扶桑社)及びベン・C・クロウ編『アメリカの奇妙な話1 巨人・ポール・バニヤン』(ちくま文庫)に見られる記述。メアリー・セレスト号はデヴォー達によってジブラルタルまで航行されているのだから、彼らが船内の食事に手をつけるのはごく自然な話である。

(注5)
 http://en.wikipedia.org/wiki/Marie_Celeste
 Wikipediaの記述をどこまで信用できるかという問題があるが、当該項目は当時のニューヨークタイムスを参照しており、十分信用に値すると判断した。


【参考文献等】

○ フランク・エドワーズ 『四次元の謎』 (角川文庫)
○ ローレンス・クシュ 『魔の三角海域』 (角川文庫)

○ 斎藤守弘 『四次元の科学』 (大陸書房)
○ 庄司浅水 『アンビリーバブル物語8 メァリー・セレスト号の謎』 (三修社)
○ コリン・ウィルソン 『世界不思議百科』 (青土社)
○ 佐藤有文 『謎の四次元ミステリー』 (青春出版社)
○ 超科学研究会 『世にも怪奇なミステリー2』 (大陸文庫)
○ ジョン&アン・スペンサー 『世界の謎と不思議百科』 (扶桑社)
○ 瑞穂れい子 『世界史ミステリー事件の真実』 (河出書房新社)
○ ベン・C・クロウ編 『アメリカの奇妙な話1 巨人ポール・バニヤン』 (ちくま文庫)
○ 『別冊歴史読本 世界未解決事件』 (新人物往来社)
○ 皆神龍太郎、志水一夫、加門正一 『新・トンデモ超常現象60の真相』 (楽工社)
○ コナン・ドイル著 延原謙訳 『ドイル傑作集2』 (新潮文庫)
○ Wikipedia「マリー・セレスト号」の項(日本語・英語双方を参照した)

(2012.8.23追記)
 F・ヒッチング『ミステリアス PART4』(大日本絵画)によるメアリー・セレスト号事件の原因分類をご紹介したい。この本はユリ・ゲラーやエドガー・ケイシー、インド人の空中浮遊などを無邪気に信じており、至ってレベルの低い本のように思えるが、何故かメアリー・セレスト号事件については事故説(下記3(a))が確からしいと非常に冷静な見解をとっている。以下の分類は本事件を分析したものの中でも最も網羅的なものの一つであろう。

1 暴力沙汰もしくは海賊説
 (a)乗組員が積み荷のアルコールを飲んで暴れた
 (b)他の乗組員たちによる不正行為
 (c)デイ・グラシア号による乗っ取り
 (d)ブリッグズとモアハウスが共謀して船を放棄した
2 病気もしくは精神錯乱説
 (a)パンに含まれていた麦角菌による発狂
 (b)コックが毒を盛り、自分も自殺した
 (c)海面下の爆発によって発生した有毒ガスが船を包みこんだ
 (d)珍しい種類の菌類が船材に発生し、毒にやられた
 (e)モアハウスは精神を病んでいた
3 海難事故説
 (a)船が沈むという誤った判断からパニックが起こり、船を捨てた
 (b)難破しそうになり慌てて救命ボートに→突風で浸水、沈没
 (c)船上でアルコールが爆発、積み荷の安全に不安を抱き船を捨てた
 (d)船の周囲で水泳大会→船が一方に偏り、全員海に投げ出される→鮫に襲われ全滅
 (e)海図にない島を発見し、調査に向かった




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