ハンギング・ロック事件 (1900)
オーストラリア・メルボルンから北に80キロメートル程、ヴィクトリア州マセドン山近くには、通称ハンギング・ロック(首括り岩)と呼ばれる奇怪な岩山が存在する。誕生は100万年以上昔と言われ、有名なエアーズ・ロックには到底及ぶべくもないものの、その威容は地元民から畏怖と畏敬の対象とされていた。
1900年2月14日の聖バレンタインの日、そんなハンギング・ロックの麓を、ヴィクトリア調の白いドレスをまとった一団の女性達が訪れた。彼女らは地元アップルヤード女学校の生徒達で、ピクニックを兼ねた課外活動のためやって来たのである。生徒達を引率するのはベテランの理科教師マクロウ先生と、若いポワティエ先生、そして御者の老人1名である。 昼食の後、生徒の1人であるマリオンが、ハンギング・ロックの測定をしたいとマクロウ先生に申し出た。マクロウ先生は「遅くならないように」と釘を刺してこれを認める。マリオンには3人の少女、アーマ、イーディス、そしてポワティエ先生に「ボッティチェリのよう」と言わしめる程の美貌を持つブロンドの少女、ミランダが同行した。 剥き出しの自然には不釣り合いな純白のドレス姿でハンギング・ロック山頂に向けて歩みを進める4人であったが、そのうちイーディスは同行したのを後悔し始める。だが他の3人はそんな彼女の不平には耳を貸さず、何かに取り憑かれたかのように山頂を目指す。一方麓では、皆が午睡でまどろむ中、マクロウ先生が傾いていく太陽を見て不安を募らせていた。時計は何故か12時を指したまま動かなくなっていた。 やがてイーディスが皆の元に戻って来た――それもヒステリックに叫びながら、1人で。一体何が起きたのか、同行した3人はどうしたのか、問いただそうにも彼女は半狂乱で要領を得ない。しかもマクロウ先生の姿まで消えていた。やむなくポワティエ先生と御者は残る生徒を連れて学校に戻る。何があったのかと問う校長に対し、御者は「3人の生徒がハンギング・ロックで消え、マクロウ先生も失踪した」と事実を述べることしかできなかった。 翌朝、早速捜索隊が結成されるも、4人の行方は一向に掴めない。一方、回復したイーディスの口から、彼女が何を見たのかが語られる。ミランダ、アーマ、マリオンの3人は靴とストッキングを脱いで岩陰に消え、自分は怖くなって後の道を引き返したのだと。またこうも語った。引き返す途中、岩山に向かうマクロウ先生の姿を見かけたが、先生はスカートを履かず下着姿であったのだと。しかしそれ以上のことはイーディスの記憶から抜け落ちていた。 警察と捜索隊が4人の捜索を続ける傍ら、地元の大佐夫妻の甥であるマイケルもまた独自に4人の行方を捜そうとしていた。彼は岩山に向かうミランダの姿を目撃しており、一目で恋心を抱いていたのである。マイケルは使用人のアルバートを伴ってハンギング・ロックを捜しまわるものの、手掛かり一つ掴めないまま途方に暮れる。引き返そうというアルバートであったが、マイケルは夜を徹してもミランダを探し出すつもりだといって聞かない。やむなくアルバートはマイケルを置いて帰還する。 翌日、再びハンギング・ロックを訪れたアルバートが目にしたのは、衣服もボロボロになって負傷し、岩場に佇んでいるマイケルの姿だった。口もきけなくなっていたマイケルを馬車に押し込むアルバートの手に、あるものが託される。白いドレスの切れ端であった。マイケルは何かを見つけたのだ。アルバートはマイケルの後を継ぐかのようにハンギング・ロックの捜索を再開、程なくして岩場の陰で気を失っている1人の少女を発見する。消えた3人の生徒の1人、アーマであった。 アーマはすぐに町に運ばれ医師の治療を受ける。だが彼女の様子に医師は首を傾げた。事件から一週間が経過しているにも関わらず、手と頭に軽傷を負っていただけで、白いドレスは綺麗なままだったからである。ただし、身につけていたコルセットは失われていた。そして彼女もイーディス同様、ハンギング・ロックで何が起きたかについて、ほとんど記憶していなかった。 やがて捜索は打ち切られ、ミランダ、マリオン、マクロウ先生の3人は、失踪したまま死亡したと推定された。 一方アップルヤード女学校では、解決の兆しを見せない失踪事件への不信感から、退学を希望する生徒が続出しており、アップルヤード校長は経営難に頭を悩ませていた。これ以上の出費を防ぎたい彼女は、学費の滞納が続いており、かねてから反抗的な態度を取っていたセーラという生徒――彼女はミランダの親友であった――に退学を言い渡す。果たして翌朝、宿舎の窓から温室に転落して死亡しているセーラが発見される。 アップルヤード校長もまた、1900年3月27日、ハンギング・ロックにて死体で発見された。岩山から転落したらしい。 |
上記概要はピーター・ウィアー監督による1975年の映画作品、『ピクニック・at・ハンギングロック』によった。神隠しに遭う少女達の姿を美しくもスリリングに描き上げ、なおかつその出来事によって目まぐるしく変化する周囲の様子を無慈悲に描いた本作は隠れた名作として名高い。 だがこの作品、実話を元にしたという誤解がつきまとっているようである。ネットショップの宣伝文句や映画の感想を綴ったブログには、「実際に起きた事件」に基づき云々という記載が多々見られるし、デアゴスティーニ社の『週刊X-Zone 第4号』には、「小説は創作ではあるが、その物語は事実に基づいたものである」という記述が見られる。いずれも誤りである。本作は純然たるフィクションなのであって、決して「実際に起きた事件」に基づいてなどはいない。 ■ 真実性の検証 その1 映画のキャプション スタッフロールを最後まで見れば、「映画に登場するキャラクターはフィクションであり、実際の人物に類似した点は全て偶然である」旨のキャプションが流れるのがはっきり見て取れる。実に単純な話で、映画自らこれはフィクションだと述べているのである。これを疑う理由は無いだろう。 その2 原作小説について 映画の原作は、ジョアン・リンゼイというオーストラリアの女流作家が1967年に発表して評判を呼んだ同名の小説である。事実を淡々と述べたドキュメントのように工夫が凝らされているが、書簡体で書かれたゲーテの『若きウェルテルの悩み』、日記や公聴会の記録といった様々な文書の集合であるスティーブン・キングの『キャリー』といった作品同様、本作もあくまで迫真性を狙ったフィクションである。 実はこの小説には当初執筆されながら、後に版元の判断で削られた最終章が存在し、その内容は後の1987年に発表された『ハンギングロックの秘密』という本の中で明かされている。生憎日本語訳はされていないが、最終章のあらましが紹介されているサイトから引用してみよう。大変長いが、飛ばし読みする程度で差し支えない。
地面が割れて飛び出す道化、空中にとどまるコルセット、空間に空いた穴……信憑性を論じる必要はあるまい。 なるほど、本章は確かに「ハンギング・ロックの秘密」である。何故なら本章こそは『ピクニック・at・ハンギングロック』という小説がフィクションであることの明らかな宣言なのだから。この章を最後に挿入した途端、『ピクニック・at・ハンギングロック』は単なる御伽噺と化す。だが本作の成功の要因の一つは、読んだ人に実話だと思わせる迫真性にある。削除を提案した編集者は慧眼であった。 その3 事実が皆無 それでも本作に何がしかの事実の裏付けを取ろうと試みた人はいる。全てが事実ではないにせよ、実際の事件を題材にしているのではないかというわけだ。だがこのサイトによれば当時のオーストラリアに類似した事件の記録は残っていないという。のみならずアップルヤードなる名の学校はおろか、似たような学校すら存在せず、またミランダ、アーマ、マリオン、イーディスといった人物の存在を突き止めた人はいない。他の生徒、捜索に参加した大勢の人、事件を調査した警察、生徒を診察した医師、不安を感じて娘を学校から退学させた何組もの夫婦がいるにも関わらず、一片の事実すら出てこないのは何故であろうか。答えはわかりきっている。単なる作り話だからだ。 私が調べた限り、少しでも具体的な事実を挙げて本作を「実話」と紹介している記述は一つも見られない。先に紹介した『週刊X-Zone 第4号』にしても、述べているのは単なる映画のストーリーの解説に過ぎず、何をもって「事実に基づいたもの」と断ずるのかさっぱりわからない。もっとも『週刊X-Zone』は、ロズウェルのUFO墜落事件だのキルリアン写真だの、ネタの明らかになった与太話ばかり寄せ集めているシリーズではあるが――。 そこに一片の事実も見出すことができない以上、本作は実話でも、実話を下敷きにしたわけでもない、単なるフィクションと見なすのが冷静な見解というものである。 その4 事件発生日の問題 それでも納得できないという人には、次の事実を指摘しておいても良いだろう。映画冒頭で、事件は1900年2月14日の土曜日に起きたと説明される。だが実際の1900年2月14日は水曜日である。是非こちらのサイトでご確認いただきたい。 ■ 秀逸な神隠し譚として では純粋なフィクションであったとして、本作の価値が減ぜられるかと言えば、そんなことはない。本作は神隠しを描いた傑作である。 この映画において特に評価が高いのは前半部分、少女達がハンギングロックに妖しく消えていくまでのシークエンスであるが、それだけでは単に映像美というだけの話である。本作が名作たるゆえんは、作品後半、失踪事件をきっかけに変化し、崩壊していく学校というコミュニティを見事に描いている点にある。 ヴィクトリア朝の道徳観を体現したかのような老女である学校長は、片腕と頼んでいたマクロウ先生を失い、更に退学者が続出することに悩んだ挙句、ついに酒に手を伸ばす。前半ではきちんと整えられていた髪が乱れ、未練がましく学校の思い出話に花を咲かせる彼女の姿は、神隠しに遭った結果、永遠に美しいままの記憶で固定された少女達とは対照的である。校長のすがる学校の歴史が50年というのも哀れである。50年とは人間にとっては長い月日かもしれないが、ハンギングロックは100万年以上も変わらずそこにあり、「少女達を待っていた」。たった50年で右往左往した挙句、崩壊する人間社会のなんと空しいことか。 失踪することで少女達の時は止まる。少女達が消えたと思われる丁度その時間、なぜか時計が12時を指したまま止まってしまうというシーンは象徴的である。時が止まることで少女達は永遠の美しさを獲得する。一方、外の世界では時は容赦なく流れ去る。固定された時と移ろいゆく時の対比、それが本作のもう一つのテーマである。 印象に残っているシーンがある。唯一生還したアーマは心に傷を負い、大陸に帰ることになるのだが、帰り際、ポワティエ先生の計らいで生徒達に別れの挨拶をする機会を設けられる。先生はもちろん皆のためを思ってこうした場を設けたのであり、アーマも皆から暖かく迎えられると思っている。ところが女生徒達は冷めた目で彼女を迎え、一緒に消えたミランダとマリオンはどうなったのかと、ヒステリックな金切り声で詰問し始めるのである。ショックを受けたアーマとポワティエ先生は逃げるように教室を後にする。 アーマが嫌われ者だというわけではない。実際、彼女が生還したという一報を聞いた女生徒達は大喜びしていたのである。それが何故こんなことになったのか――? 色々な解釈ができるであろうが、私の考えを述べれば、女生徒達は、アーマが生きて戻ったという事実によって甘美な神隠し幻想を打ち破られてしまったのである。学友が神秘的な神隠しの結果消えてしまったという事実は悲しいが、しかし美しい記憶と化して彼女達の胸に残った。それなのに、一人が生きて生身の体で戻ってきた。ということは、神隠しは神秘的でも何でもない単なる事故なのであり、ミランダとマリオンは岩山のどこかで死に、遺骸は虫や小動物によって食い荒らされているに違いない(映画前半、ピクニックに持参したケーキの残りに蟻がたかるシーンは暗示的である)。そんな現実を急に突き付けられたことで、女生徒達はショック状態に陥ってしまったのである。 悲劇は常に2つの顔を持つ。神隠しとは恐ろしく悲しいことであるが、一方でどこか人を魅了するものがある。どんなに周りの人生を狂わせる嘆かわしいことであろうとも、失われることによって生まれる甘美なるものもまた存在するのだ。生ある人間が「死」にすらも美を見出すように。 |
【参考文献等】
○ ピーター・ウィアー監督 『ピクニック・at・ハンギングロック』 1975 ○ 『週刊X-Zone 4』 デアゴスティーニ、1997 ○ 佐和田敬司 『オーストラリア映画史 映し出された社会・文化・文学 増補改訂版』 オセアニア出版社、2004 その他、多くのwebサイトを参照した。比較的まとまった記述がなされているサイトとして以下を挙げる。 ○ http://www.bookmice.net/darkchilde/rock/picnic.html ○ http://blackmamesu.at.webry.info/200908/article_63.html ○ http://www.ne.jp/asahi/betty/boop/picnicathangingr.htm |
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