デイビッド・ラング失踪事件  (1880)




 デイビッド・ラング氏は、テネシー州ガラティンから数マイル離れた土地に農場を構え、妻と11歳の娘サラ、そして8歳の息子ジョージの4人で静かに暮らしていた。

 1880年9月23日の午後、庭先で遊んでいたサラとジョージは、一頭立ての馬車が自宅に近づいてくるのを目にして遊びの手を止めた。馬車には一家の知り合いで、いつも2人におみやげを買ってきてくれるオーガスト・ペック判事と、その弟が乗っていると知っていたからである。自宅の中にいたラング夫人も、馬車が近づく音に気付いて玄関口に出てきた。

 その時ラング氏は農場にいたが、馬車に気付くと判事に手を振り、「ちょっと馬を見てから戻ってきます」と言って、馬小屋に向け歩き出した。ところがその途端、氏は家族と判事兄弟の計5人が見ている前で、忽然と姿を消してしまったのである。

 判事がラング氏の消えた地点に駆けつけたが、氏の持ち物は何一つ残っておらず、地面に人が落ち込むような穴も見られない。そもそも農場一帯は石灰岩の地盤に覆われており、地盤沈下などはありえないというのが、後に調査を行った専門家による説明であった。数か月に渡って捜索が行われるも、ラング氏の痕跡一つ発見する事はできなかったが、それでも一家は夫が帰ってくることを信じ、葬儀を行わないまま農場で生活を続けた。

 謎の失踪から7か月後の1881年4月、ラング氏の消滅したまさしくその地点に不思議な現象が起こった。発育の悪い黄色い草が、ラング氏の失踪地点を円形に取り巻き、直径15フィートほどの黄色い輪を形作っていたのである。それはあたかもラング氏の居場所を示しているかのようであった。

 一家によれば、時折輪の中から、ラング氏が助けを求める声が聞こえてきたという。だが、輪の中は周囲と同じように草が茂っているだけで、何ができるはずもない。やがて声は弱くなっていき、ついには聞こえなくなってしまったとのことである。




【考察】

 本事件は人間蒸発譚の古典として様々な書籍に取り上げられており、オリバー・ラーチ失踪事件と並んで知名度が高い。

■ ラング事件を扱っている日本の書籍

 当該事件を扱っている書籍で私が有しているものを、初版の発行が古い順に並べてみる。訳書については原書の発行年を優先した。

○ 1990 フランク・エドワーズ 『ストレンジ・ワールド PART1』 (曙出版)
 (“Stranger Than Science”(1959)の翻訳。)
○ 1976 佐藤有文 『四次元博物館 ミステリーゾーンを発見した』(KKベストセラーズ)
○ 2001 ジョー・ニッケル 『オカルト探偵ニッケル氏の不思議事件簿』 (東京書籍)
 (“Secrets Of The Supernatural”(1988)の翻訳。)
○ 1990 佐藤有文 『謎の四次元ミステリー』 (青春出版社)
○ 1992 桐生操 『世界の幽霊怪奇 本当にあった不気味な話』 (青春出版社)
○ 1992 超科学研究会 『世にも怪奇なミステリー2』 (大陸文庫)

 このうち、事件について考察を加えているのは『オカルト探偵ニッケル氏の不思議事件簿』のみで、他の書籍は典拠も示さず単純に事件を紹介しているに過ぎない。佐藤有文は2つの書籍のいずれにおいても、「黄色い輪」について一切言及しておらず、また『世にも怪奇なミステリー2』では、農場主の名前がジョー・ガラップという全く別人の名前になっているという違いが見られるが、紹介される内容は大同小異で大きな違いはない。本頁の事件概要は主として、原典が最も古いフランク・エドワーズ『ストレンジ・ワールド PART1』に拠っている。

 それにしても、イヌイット村人集団失踪事件のフランク・エドワーズといい、藤代バイパス車両失踪事件の佐藤有文といい、信憑性に疑問符をつけざるを得ない著者が並んでいる。結論から言うと、この話もまたヨタ話であった。『オカルト探偵ニッケル氏の不思議事件簿』を基に、事件の謎解きを見ていこう。

■ 実在しない事件

 ロバート・シェイデウォールドという人が1977年に『フェイト』誌に寄せた論文“David Lang Vanishes...FOREVER”によると、テネシー州ナッシュビルの図書館職員ハーシェル・G・ペイン氏が戸籍等を調べてみたが、1880年当時、テネシー州にデイビッド・ラングだのオーガスト・ペック判事だのという人物がいたという証拠は見出せなかったという。一農場主のデイビッド・ラング氏はともかく、判事という公職者であるオーガスト・ペック氏については、存在すれば何かしらの記録が残っている筈であろう。調査したにも関わらず証拠が無いとなれば、人物の実在を疑われても仕方あるまい。

 更に決定的なのは、フェイト誌に1953年に掲載された「私の父はなぜ消えた?」という記事の信憑性が暴かれたことである。これはスチュアート・パーマーという人が、事件当時11歳であったラング氏の娘、サラ・ラング氏に取材したという触れ込みの記事で、「黄色い輪」云々の話がサラ嬢の宣誓供述書と共に紹介されている。また同記事には、霊媒による自動筆記(注1)によって得たというデイビッド・ラング氏のメッセージ文が掲載されており、それは紛れも無く父親の筆跡だとサラ嬢は主張している。

 ところが、シェイデウォールドが調べてみると、宣誓供述書には本来なければならない公証人の認印が見られなかったばかりか、宣誓供述書の筆跡と、自動筆記によって得られたというラング氏のメッセージの筆跡が一致し、全て同一人物によるでっちあげであることが証明されてしまったのである。捏造したのは恐らく記事を書いたスチュアート・パーマーなのだろう。

 このように、デイビッド・ラング一家の存在を証明する証拠が見つからないのみならず、唯一の物証は捏造が判明していることからみて、本事件は最初から作り話であったと見なすより他ない。

■ 作り話の出典は

 次に、この作り話の出典を探ってみたい。サラ・ラング嬢の供述という触れ込みで『フェイト』誌にスチュアート・パーマーの記事が掲載されたのが1953年であるから、初出の時期がそれ以前に遡るのは明らかである。スチュアート・パーマーはこの記事において、「デイビッド・ラング失踪事件は何年か前、『ゴースト』という雑誌に紹介されたと書いている。1936年から1937年にかけて発行されていた雑誌とのことらしい。書いているのがヨタ話を飛ばしたスチュアート・パーマーであるから鵜呑みにするのは不安だが、一応彼の書くところを信用しておくことにする。

 『ゴースト』誌以前の出典は残念ながら明確でない。ジェイ・ロバート・ナッシュという人は、「1889年にマクハッテンという人物が、アンブローズ・ビアスの小説に手を加え実話物語として発表した」のがデイビッド・ラング失踪事件だとしている。ただし、マクハッテンなる者が書いたとされるラング失踪事件の話は残っていない。

 さて、ここで再びアンブローズ・ビアスが登場した。オリバー・ラーチ失踪事件をごらん頂いた読者の方は、何だか似たような展開になってきたと感じられることだろう。オリバー・ラーチ失踪事件はビアスの『チャールズ・アッシュモアの足跡』とそっくりであったが、それと同じように、デイビッド・ラング失踪事件によく似たビアスの作品が存在する。1893年の短編集『ありうべきことか?』内に収録された、『蒸発した農園主』(注2)という作品である。非常に短い小説であるが、以下に概要を示そう。

 アラバマ州セルマから6マイル離れた土地にウィリアムソンという人物が農場を構えていた。
 1854年7月のある朝、ウィリアムソンが農場をぶらついていると、隣人のアーマー・レン氏とその息子ジェームズの乗る馬車に出会う。その時はお互い挨拶を交わして別れたが、レン氏は200ヤード程進んでから、「ウィリアムソンにあの馬のことを話しておくのを忘れてしまっていた」事に気付き、馬車を引き返させる。馬車が向きを変えるとウィリアムソンが農場を歩いているのが見えたが、馬車が一瞬蹴つまずき、体勢を整えてみると、ウィリアムソンの姿は消えていた。
 その後、ウィリアムソンの財産分与についての公判において、レン氏は自分の目撃したことや、ウィリアムソンの妻が狂ったように悲鳴を上げていたことなどを証言する。結局、失踪の謎は解けぬまま、裁判所はウィリアムソンが死亡したと判断、財産は法律どおり分配された。

 『ビアス選集4』より

 ラング氏の失踪箇所に発生した「黄色い輪」にこそ触れられていないが、舞台が農場である点や馬車が登場する点など、デイビッド・ラング失踪事件と酷似しており、両者が全く無関係であるとは信じにくい。1893年というのは短編集に収録された年であるから、実際に短編が執筆されたのはそれ以前……恐らく1880年代から1890年代前半にかけて執筆されたと推測でき、これはマクハッテンという人物がラング失踪事件を書いたとされる時期と重なる。

 ビアスが何かしらの元ネタを参考にして『蒸発した農園主』を執筆した可能性は低い。想像力を駆使してさも実話のような虚構の話を創作するのはビアスの得意とするところであるし、ジョー・ニッケルの詳細な調査にも関わらず、ビアス以前の元ネタが存在したという証拠は見つかっていないからである。前出のシェイデウォールドは図書館職員ハーシェル・ペインの調査を引用する形で、「1880年代にテネシー州でホラ話を書き散らしていたジョー・マルハッテンという人物」が初出だと主張しており、この主張が正しければビアスがマルハッテンのホラ話を参考に小説を書いたという説も成り立つが(もっとも、その逆も成り立つのであるが)、ジョー・マルハッテンなる人物について詳細はわかっておらず、また彼の書いたとされるホラ話も残っていない。ビアスに先立ってマルハッテンのホラ話が存在したと考えるには証拠が足りないと見るべきであろう。ビアスの『蒸発した農園主』こそ、デイビッド・ラング失踪事件の元ネタと考えて差し支えないのではなかろうか。

■ 妖精の輪(フェアリー・リング)

 さて、デイビッド・ラング失踪事件を一際印象深くしているのは、ラング氏が消えた箇所に後日生じたとされる「黄色い輪」である。ビアスの小説には見られなかったこの「黄色い輪」を付け加えた人物は中々の物語作者と言うべきであろう。この舞台装置のおかげで話が何倍にも盛り上がっているのであるから。だが、「黄色い輪」が全くのオリジナルの話かといえば、どうもそうではなさそうである。

 森の中や芝生の上などにキノコが円状に生育し、周囲の草を枯らして円を形作ることがある。フェアリーリング病(注3)というれっきとした病害なのであるが、西洋ではこれを「妖精の輪」(フェアリー・リング)と呼び、妖精が輪になって踊った跡だと言い習わしてきた。そして、この「妖精の輪」は、時として人を異世界へ導く入口になるのだという。一例を挙げよう。

タフィ・アップ・ショーンはある晩、妖精の輪に踏みこんで、ほんの数分間――と彼は思った――踊った。が、妖精の輪から出てみると、すべてが前と変わっていた。自分の家へ戻ってみたが、家は消えてなくなって、代わりに、りっぱな石造りの農家が建っている。その農家のおやじが彼の話を聞いて、丁重に彼を迎えてくれて、食事を出してくれ、彼の名前を知っているかもしれない村いちばんの年寄りカティ・ショーンに会わせよう、ということになった。農夫が先に立って歩いていくと、後ろからついて来る足音がだんだん小さくなっていく。そして、振り向いたとき、ちょうどタフィが小さな灰の山となって、地面に崩れていくところだった。

キャサリン・ブリッグズ 編著 『妖精事典』(p417)より

 妖精の輪が時間の流れの異なる異世界に通じていたという話であるが、この「妖精の輪」は、デイビッド・ラングが消えた地点に現れた「黄色い輪」を思わせる。ビアスの殺伐とした小説に「妖精の輪」を付け加えた人物は、土俗的な香り漂う妖精物語に懐かしみを感じていたのかもしれない。

 


(注1)
 霊媒に死者の霊を憑依させ、ペンを持つ霊媒の腕を通じて霊のメッセージを明らかにするというもの。要はこっくりさんの一種である。

(注2)
 原題“The Difficulty of Crossing a Field”。『オカルト探偵ニッケル氏の不思議事件簿』では『野原を渡れずに』と訳されており、個人的にはこちらの邦題の方が好みである。

(注3)
 
http://www.rikengreen.co.jp/nousi-kenkyuu/byogai/fairyr.htm


【参考文献等】

佐藤有文 『四次元博物館 ミステリーゾーンを発見した』 (KKベストセラーズ)
フランク・エドワーズ 『ストレンジ・ワールド PART1』(原題:Stranger than Science) (曙出版)
佐藤有文 『謎の四次元ミステリー』 (青春出版社)
桐生操 『世界の幽霊怪奇 本当にあった不気味な話』 (青春出版社)
超科学研究会 『世にも怪奇なミステリー2』 (大陸文庫)
ジョー・ニッケル 『オカルト探偵ニッケル氏の不思議事件簿』 (東京書籍)
アンブローズ・ビアス 『ビアス選集4』 (東京美術)
キャサリン・ブリッグズ 『妖精事典』 (富山房)




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