バミューダ・トライアングル(バミューダ三角海域)




 地図を取り出して大西洋のバミューダ島、そこから南に向った先にあるプエルトリコ島のサンフアン、そしてアメリカはフロリダ半島のマイアミを直線で結ぶと、海にほぼ正三角形の図形が浮かび上がる。この三角形の内側、あるいは周辺の海域において、船舶や航空機が忽然と消失するという話がある。今や誰もが一度は聞いたことがあろう、有名なバミューダ・トライアングルの伝説である。

 では、一体バミューダ・トライアングルでどのような出来事が発生しているのか。一つの典型を示すのがアヴェンジャー爆撃機失踪事件である。

 1945年12月5日のおだやかな午後、フォート・ローダデール海軍基地を、5機のアヴェンジャー爆撃機が飛び立った。基地から東へ160マイル、次いで北に40マイル飛行し、そこから西南西に向かって再び基地に戻って来るという、ごく単純な飛行訓練である。乗組員は合計14人、隊を率いるのはチャールズ・テイラー中尉。

 異変が発生したのは15時45分のことである。隊の帰還予定時刻は15時42分であったから、本来着陸許可を求める無線が発せられる筈なのであるが、テイラー中尉は次のような無線を発してきたのである。

「管制塔。非常事態だ」
「どうした」
「陸地が見えない。繰り返す。陸地が見えない」
「現在位置は」
「わからない。陸地が見えない」
「西に向え」
「どちらが西かわからない。方向を見失った、何もかもおかしい。海の様子もいつもと違う……」

 やがて、「白い水が……」と謎めいた無線を最後に、隊は消息を絶った。

 だが、アヴェンジャー爆撃機の失踪は異変の序章に過ぎなかった。その後、彼らを救出に向かったマーティン・マリナー飛行艇もまた、同じ海域で謎の失踪を遂げたのである。爆発を見たという目撃証言もあるが、原因が特定されることはなかった。

 バミューダ周辺において失踪事件が多発していることに着目した超常現象研究家のヴィンセント・ガディスは、1960年代に発表した論文で「バミューダ・トライアングル」という言葉を初めて使用した。これがきっかけとなったかどうかは不明であるが、研究家たちはバミューダ・トライアングルで起こった事故を調べ始める。その結果、この海域は昔から謎の失踪事件が多発していると語られるようになった(事例の数々は下記考察に一覧表にしてまとめてある)。

 そして1974年、この謎めいた三角地帯の存在を世に知らしめる決定版とも言うべき著作が誕生する。チャールズ・バーリッツ“The Bermuda Triangle”(邦題『謎のバミューダ海域』(徳間文庫))である。刊行されるや否やベストセラーとなり、全世界で500万部以上を売り上げたこの本によって、バミューダ・トライアングルという言葉は怪現象の歴史の1ページに名を刻み、今日まで語り継がれる伝説と化したのである。

 


【考察】

 通称バミューダ・トライアングルと呼ばれるこの三角形の海域の伝説は今や古典となっている。だが、伝説が今日でも漫画やドラマのネタに使用されるほど人口に膾炙しているのに対し、その謎解きは悲しいほどに知られていない。実は、ある一冊の本によって、この伝説の謎はほぼ完全に剥ぎ取られているのである。

■ 先行研究――ローレンツ・クシュ『魔の三角海域』

 その本とは、アリゾナ州立大学の図書館司書、ローレンツ・クシュの手による『魔の三角海域 その伝説の謎を解く』(以下、『魔の三角海域』という)。バミューダ・トライアングルの謎に具体的な反論を試み、地道な文献調査を積み重ねた好著である。この本と前述のバーリッツ『謎のバミューダ海域』は、バミューダ・トライアングルを語る上での必読書とも言うべきものであり、両作に触れていない謎解きは結論が何であれ片手落ちと見なしても過言ではない。先行研究を踏まえない研究は評価されないのである。

 だが、バーリッツらの著作が未だに版を重ねている一方、『魔の三角海域』は甚だ遺憾な事に絶版である。ゆえに、必読書たる『魔の三角海域』について間接的に知ってはいても、実際に読んでみたという人は少ないと思われる。そこで、まず最初に大幅にスペースを割いて『魔の三角海域』の内容を紹介しておきたい。

 本書の構成は単純明快で、バーリッツら、いわゆる「肯定派」達の語るバミューダ・トライアングルにおける怪事件を一つ一つ紹介し、その度にクシュの調査結果を併記するという形をとっている。以下は各事件の「主張」と「反論」の一覧表である。



バミューダ・トライアングル「主張」と「反論」

○ 本表は、バーリッツ『謎のバミューダ海域(完全版)』(徳間文庫)P48〜53においてバミューダ・トライアングルで発生したとされている主な事件と、それらに対しクシュが『魔の三角海域』で行った反論を一覧表にしたものである。
○ クシュはバーリッツ以外の者が取り上げた事件にも反論を加えているが、ここでは省略した。
○ クシュの反論は詳細なものであるが、本表では要約を示すに止めざるを得なかった。興味を抱いた人は可能であれば是非原著を一読してほしい。
失踪した船舶・航空機 バーリッツ『謎のバミューダ海域(完全版)』 クシュ『魔の三角海域 その伝説の謎を解く』
1 1840.8 ロザリエ  ヨーロッパからハバナへ向かう途中、トライアングル内で積荷を残し帆を張った状態で発見される。乗員のみ行方不明。  ロザリエ(Rosalie)号なる船名は同年のハバナ近海における各種遭難記録に見当たらず。ロッシーニ(Rossini)号という似た名前の船が同年8月3日にハバナ海峡で座礁するも、船員は救助されている。
2 1880.1 アタランタ  イギリスのフリゲート艦。290人を乗せバミューダからイギリスへ向かう途中、消滅。  アタランタ号が予定していた約5,000kmの航程のうち、バミューダ・トライアングルが占める距離は800kmに過ぎず、同船がバミューダ海域で消滅したと断言する根拠はない。また、当時大西洋上では荒天が続いていた。
3 1881 エレン・オースティン  ニュー・ファウントランドに向っていたアメリカのスクーナー船。アゾレスの西を航行中に遺棄船を発見し、回航要員を乗せて帰港しようとした矢先にスコールが発生、両船は互いを見失ってしまう。2日後にエレン・オースティンは同じ遺棄船を発見、再度回航要員を乗せるも、再びスコールに遭遇、遺棄船と回航要員が姿を見せる事は二度と無かった。  ルパート・ゴールドの『夢想家は語る』が初出と見られるが、主要紙や海難史辞典、公文書館、1881年及び1882年上半期のニュー・ファウントランドの新聞に当該事件に関する記事は見当たらなかった。
 なお、ルパート・ゴールドは1回目の遺棄船発見までしか述べていない。2日後に再度同じ遺棄船を発見した云々はバーリッツがつけ加えた記述である。
4 1902.10 フレヤ  ドイツの帆船。キューバのマンザニロを出帆した直後に無人となって発見。マストが折れ、船内のカレンダーは10月4日を示していた。  フレヤが出帆したのはキューバではなくメキシコのマンザニロからである。ゆえにバミューダ・トライアングルとは無関係。チリに向かう途中、海底地震の影響で遭難したと見られる。
5 1918.3.4 サイクロプス  米海軍補給船。309人を乗せてバルバドスを出帆、ノーフォークへ向かう途中、好天のもとで無線連絡もなく消滅。残骸は一切発見されず。  サイクロプスの到着予定日であった3月10日、ノーフォークには暴風が吹き荒れていた
6 1925(※1) 来福丸  日本の貨物船。バハマ諸島とキューバの中間から救助を求める無線を発した後、行方不明に。  来福丸の航路はボストン・ハンブルク間。遭難箇所はバミューダの北1,120kmの地点で、全く場所が異なる。大時化に遭遇し沈没の危機に瀕していたところを、無線を傍受したホメリック号という汽船が救出を試みたが、荒天のため努力も空しく乗組員全員が溺死している。
7 1925.12 コトパクシ  汽船。チャールストンからハバナへ向かう途中で消滅。  当時この船は暴風雨圏を航行しており、ロイド船級協会事故週報(1925年12月11日号)によれば、同船から浸水のため船体がひどく傾斜しているという連絡があったという。
8 1931.10 スタヴェニィエル(※2)  貨物船。バハマ諸島のキャット島付近からの無線連絡が最後。  同名の船籍の遭難記録なし。「スタヴァニァル」という似た名前のノルウェー船の記録はあるが、1931年に遭難したという記録はない。なお、1931年10月当時、熱帯性低気圧がバハマ諸島付近に接近していた。
9 1932.4 ジョン&メアリー  二本マストのニューヨーク船籍。バミューダの南50マイルで遺棄され漂っているところを発見。  エンジンまたはエンジンルームの爆発によりバミューダ北西960kmの海上で航行不能となり、乗組員が全員救助された後、無人となった同船がバミューダ近海で発見されたものである(ニューヨーク・マリタイム・レジスター紙より)。
10 1938.3 アングロ・オーストラリアン  乗員39人の貨物船。アゾレスの西から「すべて順調」との無線連絡が最後。 (未調査)
11 1940.2.3 グロリア・コライタ  ヨット。西インド諸島のセント・ヴィンセントを出帆した直後、アラバマ州モービルの南200マイル地点で遺棄船として発見。船内は整然と片付いていた。  当時、同船の航路一帯には暴風警報が出されていた。船を発見した沿岸警備隊によると、「マストはまだ無事だったものの、策具は寸断され、舵、および操舵装置は破壊されて」おり、「船倉はほぼ満水の状態であった」。「整然と片付いていた」どころではない。
12 1944.10.22 ルビコン  キューバの貨物船。メキシコ湾流中を漂っているところを沿岸警備隊が発見。無人だったが一匹の犬だけが残されていた。  実話。ただし、当該事件を報じたニューヨーク・タイムズは救命ボートが失われていた事実を指摘し、ハリケーンに巻き込まれたのではないかとの冷静な推測を述べている。ただ、記事の見出しが「第二のマリー・セレスト事件か」とされており、謎めいた印象が先走ってしまったのだろう。
13 1945.12 5機のアヴェンジャー爆撃機  訓練飛行のためフロリダのフォート・ローダデールを飛び立った2時間後、何らかの異変を報告するような謎の無線を発した後、基地の北東225マイル辺りで行方を絶つ。乗組員はベテラン揃いであった。  本件はコンパスの故障、訓練不足(隊を率いたテイラー中尉以外は訓練生であった)等、複数の要因が積み重なった挙句、隊が完全に現在地を見失った結果起きた事故である。なお、クシュは400pにのぼる事故調査報告書に目を通したが、バーリッツ他の著書に見られる「海がおかしい」、「白い水が……」云々の発言を隊の人間が発したという証拠は見出せなかった。
14 1945.12 マーティン・マリナー飛行艇  上記アヴェンジャー爆撃機の捜索に向うも、消失。  当日の19時50分頃、丁度同機が飛んでいたと推測される空域で爆発が目撃されている。同機は「空飛ぶガスタンク」と呼ばれるような欠陥機であった。
15 1947 スーパー・フォートレス  バミューダ沖100マイルの地点で消失。  オリジナルの資料未発見。積乱雲に飛び込み上昇・下降気流に巻き込まれた可能性を示唆している。
16 1948.1 スター・タイガー  四発チューダー4型旅客機。バミューダ北東380マイル地点からの連絡を最後に消息を絶つ。事故調査の査問会議も謎を解けず、「何らかの外部的原因」を示唆している。  同機は整備に不備があり、当時は天候不順、燃料もほぼつきかけていた。原因の特定はできないが、これら要因が複合的に組み合わさって遭難したと考えられる。査問会議は単に原因の断定を避けたに過ぎない。なお、「何らかの外部的原因」とは、前後の文脈から見て天候のことを指しているのは明らかである。
17 1948.12 DC3  民間チャーター便。プエルトリコのサンファン発、マイアミ行き。  同機の送信機は故障、操縦士は20時間も勤務を続けており、事故が発生する恐れは十分あった。また、想定される墜落箇所はメキシコ湾流が激しく、漂流物の一切が流れてしまった可能性は高い。
18 1949.1 スター・エリアル  ロンドン発、バミューダ及びジャマイカ経由サンチアゴ行き。バミューダ南南西380マイル地点で無線が途絶える。  原因不明。同機はバミューダを通過後、同地の管制塔に「キングストン(次の中継地)に交信先を切り替える」と伝えていたが、キングストン側では積極的に交信を試みなかった。これにより捜索開始が大幅に遅れたため、機体の発見に至らなかったと思われる。
19 1950.3 グローブマスター  米空軍機。アイルランドへ向う途中、トライアングルの北端で消息を絶つ  ニューヨーク・タイムズによれば本件は1951年の事件。当時アイルランド西部には強風が吹き荒れ、海は大時化。閃光と残骸を見た目撃者が多数おり、事故であるのは間違いない。なお、事故が発生したのはアイルランド南西960km地点で、バミューダ・トライアングルからは全く隔たっている。
20 1950.6 サンドラ  殺虫剤を積んだ350フィートの貨物船。ジョージア州からベネズエラに向かう途中、フロリダ州のセント・オーガスティン沖を通過した後に失踪。  サンドラ号が出港した4月5日、フロリダは暴風と雷雨に襲われていた。なお、ロイド船級協会記録によれば、船の大きさは185フィート、失踪したのは4月である。1952年の「フェイト・マガジン」が誤った情報を掲載、以後それが踏襲されたものと見られる。
21 1952.2 ヨーク・トランスポート輸送機  英の空軍輸送機。ジャマイカに向う途中、トライアングルの北部で消滅  ニューヨーク・タイムズによれば1953年の事件。同機がジャマイカに向っていたのは間違いないが、墜落箇所はアゾレス諸島からニューファウントランドのガンダーに向う途中であり、トライアングルからは北に1,400km以上離れている。当時その地点では強風と暴雨が吹き荒れていた。
22 1954.10 スーパー・コンステレーション  米海軍機。42名の乗員とともにトライアングルの北部で消息不明。  原因不明。当時の天候も良好。本件についてはクシュも反論の手がかりが掴めなかった模様である。
23 1955.9 コンネマラ4世  ヨット。バミューダの南西400マイル地点で、なぜか(原文ママ)遺棄されていた。  同年同月、大西洋上にアイオン台風が発生。バミューダからバハマにかけて最大風速80メートルの暴風が吹き荒れていた。
24 1956.4 B25  民間の輸送機に改造されたもの。「大洋の舌」の南東で消息を絶つ。 (未調査)
25 1956.11 マーティン・マリーン  米海軍P5M水上機。バミューダ付近で10人の乗員と共に行方を絶つ。  原因は不明だが、明らかに同機のものと思われる爆発が目撃されている。荒れ模様の海が生存者の救出、残骸の回収を困難にしてしまった。
26 1958.1 リヴォノク(※4)  レーシング・ヨット。陸地が見える海域で行方不明。  当時のニューヨーク・タイムズはこう伝えている。「フロリダ南部を襲った史上最悪の真冬の暴風に襲われたものと思われる」。
27 1962.1 KB50  米空軍給油機。ヴァージニア州ラングレー空軍基地を飛び立ちアゾレスへ向う途中、消滅。「得体の知れぬ難儀に巻き込まれたことを暗示するように、かすかな無電が聞こえた」という。  原因不明。捜索活動の遅延により発見は困難であった。なお、最後の無線は単なる位置レポートであり、バーリッツが書くような「得体の知れぬ難儀」を暗示するものではない。
28 1963.2 マリン・サルファ・クイーン  液体硫黄を運ぶ貨物船。テキサス州ボーモントからヴァージニア州ノーフォークへ向かう途中、無線・手がかり・残骸を一切残さず消滅。  事故調査委員会は事故原因の解明には至らなかったが、仔細なレポートと、考え得る4つの事故原因を挙げている。また、救命胴衣他多数の漂流物が回収されている(写真あり)
29 1963.7 スノーボーイ  漁船。全長63フィート(19.215メートル)。ジャマイカのキングストンから80マイル南のノースイースト・ケイに向う途中、40人の乗組員と共に消滅。  63フィートの漁船に40人の乗組員というのは明らかに定員オーバーである。僅かな残骸が発見されたほか、一遺体が目撃されている(回収はできなかった)。
30 1963.8 KC135ストラトタンカー2機  米空軍四発給油機。フロリダのホムステッド空軍基地を飛び立ち、バミューダ南西300マイルの地点で行方を絶つ。  米空軍は2機が空中衝突したと断定。うち1機については残骸及び乗組員の飛行帽が発見されている。
31 1963.9 C132カーゴマスター  アゾレスに向う途中、行方不明。 (未調査)
32 1965.6 C119  大型輸送機。通称「空飛ぶボックスカー」。バハマ諸島の南東で消滅。  原因不明。本事件については、クシュは専らUFOによる誘拐説(バーリッツではない他の肯定論者が唱えた説)について反論を試みている。
33 1967.1 チェイスYC122  民間用に改造された輸送機。メキシコ湾流の中に姿を消す。  事故原因は不明であるが、多数の残骸と油膜が発見されている。
34 1967.12 ウィッチクラフト  キャビン・クルーザー。マイアミから1マイル沖のブイの横に停泊している最中に消滅。  停泊していたとあるが、当時は大時化で警報も出ていた。
35 1970.4 ミルトン・イアトライデス  貨物船。ニューオーリンズからケープタウンに向かう途中で消滅。 (未調査)
36 1973.3 アニタ  貨物船。ノーフォークからハンブルグに向かう途中で消滅。  アニタに先立つ僅か2時間前に、同じノーフォークからハンブルグに向って出発した同型・同貨物の貨物船「ノルス・ヴァリアント」が、嵐で遭難、生存者が救出されている。アニタの消滅原因は明らかに本船と同一のものである。
(※1) バーリッツ『謎のバミューダ海域』では1924年とされているが、続編の『大消滅 その後のバミューダ海域』では1925年に訂正されている。
(※2) バーリッツの『謎のバミューダ海域』では「スタベンジャー」とされている。
(※3) バーリッツ『謎のバミューダ海域』では1967年12月とされているが、続編『大消滅 その後のバミューダ海域』で訂正。


 両者が取り上げている事件は他にもあるが、主だった事件は概ね網羅されていると考えていただいて構わない。こうして主張と反論を対照表形式でまとめると、事件にはよく似た一定のパターンがあることがおわかりになるだろう。私見では以下の3つの要素に集約できる。

(1)当時の天候や捜索結果等、必要な情報が伏されているもの
(2)事故発生箇所がバミューダ・トライアングルと異なるもの、あるいはその可能性が濃厚なもの
(3)事故そのものが存在したか疑わしかったり、出鱈目な要素が付加されているもの

 これら調査結果からクシュは、バミューダ・トライアングルの謎というものは、ありふれた事故が誤って(あるいは意図的に)伝えられたことによる幻に過ぎないと結論している。

 公平を期すために述べておくと、クシュの反論の中には些か足腰の弱いものもある。バミューダ・トライアングルの謎とは、船舶が何故見つからないのかという謎だけではない。もう一つ、船舶が何故消滅するのかという謎がある。しかし、事例18や25において、クシュは前者の謎に答えるのみで、後者については答えていない。バミューダ肯定論者に「未知の脅威が彼らを襲ったのだ」と主張された場合(こういった漠然とした主張はほぼ無価値とはいえ)、些か心許ないのは否めない。

 とはいえ、それは答えるに足る資料が得られなかったためであり、わからないことを無理に答えようとしない姿勢は至極正当で科学的なものである。不明な点の多い海難事故の原因を無理にこじつけては、それこそUFOや四次元を持ち出す手の人達と同じ轍を踏むことになってしまう。クシュの目的は謎のベールを剥ぎ取ることにあり、その目的は概ね成功していると見て良いだろう。

 また、クシュはこうも述べている。

 三角海域におけるあらゆる消失事件の共通の答えを見出そうとするのは、まるで、アリゾナ州で起こったあらゆる自動車事故の原因を追究するようなものである。いたずらに万能薬的な仮説を求めるのをやめ、個々の事件を独自に調査すれば、謎は自ずから解けはじめるのである。

 その通りであろう。海上の失踪事件には多種多様な原因が想定されて然るべきはずである。単に一つの特定の海域で発生しているからといって、その原因をも一つに特定されるとは限らない。それを無視したところに、無理筋な解釈――四次元、ブラックホール、UFO等々――が生まれてくるのではないだろうか。

■ バーリッツによる反論

 このように詳細極まる反論本が出された以上、バーリッツとしても到底黙ってはいられない。やがて彼は続編『大消滅 その後のバミューダ海域』を刊行、次のように反論している。

 しかし、注目すべきは、この問題に対する著者のアプローチが、「バミューダ・トライアングル」にしろ大西洋にしろ、直接肌で海を熟知した上でなされたものではない、ということだ。彼の調査方法はいささか哀れにも、長距離電話による問い合わせなどという手段に頼り切っているところに、その特色がある。それについては彼自身、自著の序文で言及しているのだから、まちがいない。
 また研究者マーティン・エボンの引用によれば、クシュ氏いわく、「当の海域に調査に出かけたところで、なんのプラスもない」とか。そのとおりなら、世界中の探偵さんや、警察、研究者、探検家連中の仕事を、ずいぶんと気楽なものにしてくれるありがたいご託宣である。

 では、クシュの主張の具体的にどの辺りが間違っているのか? そう思って先を読み進めると――なんと、反論はここで終わってしまう。拍子抜けすることに、上記引用がバーリッツのクシュに対する反論の全てなのである。以後、同書の中では一切クシュについて触れられることはない。

 このように、バーリッツの反論はほとんど反論の体をなしておらず、単なる愚痴という程度に過ぎないが、彼が抱く憤懣は理解できないでもない。「机上研究 対 現地調査」とも言うべき論争は昔から存在する。例えば、有名な「源義経=チンギス・ハン説」を巡って戦わされた論争において、以下のようなやり取りがあったという。小谷部は説の提唱者である小谷部全一郎、金田一はアイヌ語研究で知られる言語学者の金田一京介である。

小谷部
「古文書のみを信ずるのは針なき糸をたらして魚をつるようなもんだ」
学者A
「確証が何も無いだろう」
小谷部
「義経は騎馬の名手であり、遠方へ逃げるのは容易かったはず。後世の学者が如何に古書を捜索しても本人が証拠を隠滅して国外に逃亡すれば証拠など残るわけは無し。」「偽の死まで装って逃亡を謀る者が、自分は死なずして大陸にわたったとの言葉をわざわざ残すわけはないし、記録に留めて後に発覚の証拠を残すわけが無い」「伝説・伝承を否定するというならば、さしずめ古事記も否定されるという矛盾に陥る」
学者B
「君は門外漢だ。専門でないことは軽々しくいうな」
小谷部
「史家と称する中央史壇の方々が私を門外漢だというなら、むしろそれは光栄だ。史家のみが義経研究に従事し得られることのみがいつも正しく、門外漢である国民は何も疑うことなく黙って信じろということになる。無理、非合理甚だしい。」「国民の共有たるべき日本国の歴史を学閥、もしくは特権階級が独占するのはどうかとおもうね」「お偉い歴史家の方々が私に向かってくるさまは、さしずめ小結になったばかりの関取に、そうそうたる横綱たちが次々投げ飛ばされているような、痛快な気分だね」
金田一
「史論としては、まず結論から入っていて、自分だけの都合のいい情報だけを抜き出して採用し、都合のよくないものは初めから棄てている。『史論』は吟味を加え客観性をもって調べなければいけない。『伝説』は人々がそのまま事実と信じるから伝わるのであって、それが正しいかどうかは分からない。この説は小谷部氏の『義経信仰』ですよ」
小谷部
「学者というものは現地に出て慎重に踏査、深く研究をしなければならない。現地にも出ていないのになにをいうか。『成吉思汗は源義経にあらず』とあとから出してくるのは売名行為に近い。学徒としても薄弱な精神の持ち主だ」

Wikipedia 「小谷部全一郎」の項より
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E8%B0%B7%E9%83%A8%E5%85%A8%E4%B8%80%E9%83%8E

 後半の金田一と小谷部の応酬など、そのままクシュとバーリッツに置き換えられそうである。

 「現地調査が肝心。机上の学問なにするものぞ」という態度を、私は現地調査万能主義と呼んでいる。だが、問題に対するアプローチには様々な形があるのであって、何が何でも現地調査が必要というわけではない。バミューダ・トライアングルの謎を解くに当たってクシュが採用したアプローチは、バミューダ伝説の中に数えられた事件の記録がいかに歪められてきたかを示すというものである。そのために必要となるのは、新聞、事故調査報告といった、事件を伝える記録である。記録というものはバミューダに直接赴いたところで手に入るものではない。ゆえにクシュはバミューダに行かない(注1)。それはアプローチの違いでしかない。

■ 南山宏による反論

 もう一つクシュに対して出された反論を提出しておきたい。バーリッツの『謎のバミューダ海域』を翻訳した南山宏の手によるもので、後書きで氏は熱心に反論を試みている。バーリッツの反論に比べればそれなりに反論の体をなしているものの、説得力の高い反論とは言えない。以下に私からの疑義を示す。

(1)場所の問題は「揚げ足取り」か?

 事例6や19のように、事故の発生箇所がトライアングルから遠く隔たっているというクシュの証明に対し、南山宏はこう述べる。「たんにネーミング上の問題にすぎないつまらぬ揚げ足取り」。

 しかし、バーリッツの原著名が“The Bermuda Triangle”となっているのである。バミューダ・トライアングルという特定の地域で失踪事件が多発しているとされることが謎の要なのであり、そうでなければ原因の特定できない海難事故が世界中で見られるというだけの話に過ぎない。バーリッツも同書で次のように述べているのだが、訳しておきながら忘れてしまったのだろうか。

不可解な消滅事故がこれほど多発し、これほど詳細に記録され、これほど突発的で、そのうえ偶然の要素などは不可能の彼方に押しやってしまうほど、非常に異常な状況の下で起こる場所は、ここをおいてほかにはないのである

『謎のバミューダ海域』P14より(強調部は筆者)

(2)帰納法と演繹法の差異

 氏は後書きで次のように述べている。

 私も超常現象研究家の端くれなので、この現象だけに限らず、こうした無責任で不寛容な偏見に基づく批判には大いに不満がある。なぜ無責任かといえば、この手の完全否定論者に限って、労をいとわず書斎から出て自分で実地調査に臨む人が、まずいないからだ。なぜ不寛容かといえば、多くはただ研究家の報告の不備や欠点の揚げ足取りと、仮説の空想過多をあげつらうことに終始し、あげくに在来的な説明がつく事件だけを取り上げ、つかない事件は無視して現象全体を否定してしまう。部分否定が必ずしも全否定にはならないことは論理学の初歩なのにもかかわらずだ。

 実地調査云々についてはバーリッツの愚痴と同工異曲であり、それに対する反論は既に述べた。気になるのは「なぜ不寛容かといえば〜」以下の文章である。

 部分否定が論理的には全部否定を意味しない、という主張は正当なものである――演繹的論理の見地からすれば。だが、反対論者は何も、バミューダ・トライアングルで起きた事故は全て現実的に説明がつくことが100%証明された、などと主張しているのではない。ごく僅かながら原因不明の事故もあり、それらはもしかしたら未知の原因によるものかもしれないという可能性は認めている。しかし、それを肯定する証拠は何もなく、他方、ごく単純な事故は多発しているのだから、恐らく未解明の事故の原因も現状の知識の範囲で説明がつくだろう、と主張しているのである。部分否定の積み重ねの果てに全部否定を推測することは、帰納法という立派な推論の一形式である(注2)。

 大体、「『ある出来事』について、部分否定は全部否定を意味しない。ゆえに『ある出来事』は存在する」などという乱暴な論法を使えば、幽霊、超能力、地球を狙う異星人……ありとあらゆる存在を肯定することが可能である。それらは存在するのかもしれない。だがその可能性は限りなく低いであろう。

■ バミューダ・トライアングルが後世に残る伝説と化した理由

 失踪事件が特定の地域で限定して発生するという「地域性」を加味したことによって、バミューダ・トライアングルは、どんなに実証的な検証が積み重ねられても生き残るほどの魅力ある伝説と化した。しかも、その地域が「トライアングル」という、神秘性を感じさせる形状であるとした設定が上手かった。地域に着目した設定の勝利である。

 バミューダ・トライアングルが数多の船舶や航空機を飲み込む魔の海域であるというのは、ある意味正しい。単なる海難事故であろうと、事故発生箇所が数百kmも離れていようと、無数の事故は手当たり次第に、万能舞台装置「バミューダ・トライアングル」の中に取り込まれるのだから。

 最後にクシュの著から引用しよう。簡にして要を得た名言である。

 私も、よいミステリーや、心に食い入る謎の好きなことにかけては人後に落ちない。われわれはみな、論理的、科学的に解明できないように見える、奇怪な現象を信じていたいという心情を持っている。しかし同時に、そうした謎に挑戦し、正しい答えを見つけることにも、喜びを感ずるのである。

 否定派の急先鋒たるクシュをして「喜びを感ずる」と言わしめた事実をよく噛み締めてもらいたい。バミューダ・トライアングルに取り込まれるのは何も海上の船や飛行機ばかりでない。ガディス、バーリッツ、クシュ、南山宏、数多の陸の上の物好き達もまた……。

 だから、バミューダ・トライアングルの伝説は今日でも健在である。

 


(注1)
 まるでクシュが机上の研究に終始しているように書いたが、彼は現地調査も行っている。またクシュは航空機の操縦免許保有者でもあり、図書館司書の肩書から連想されるような書斎派タイプの人間ではない。

(注2)
 では帰納法が正当な推論か否か? という問題を突き詰めて考えると、「斉一性の原理が果たして認められるのか?」という科学哲学上の重大問題にぶつかる。簡単に具体例を挙げて説明すると、「99羽目のカラスが黒かったからといって、100羽目のカラスも黒いと言えるのか?」という問題である。だが、筆者の能力では残念ながら、この問題について自分の言葉で仔細に論じるには至らない。
参考までにこの問題を扱った良書として、伊勢田哲治『疑似科学と科学の哲学』(名古屋大学出版会)を挙げておく。


【参考文献等】

○ チャールズ・バーリッツ『謎のバミューダ海域(完全版)』 南山宏訳、徳間文庫、1997
 ※ 1975年に発行された同名書の完訳版
○ ローレンス・D・クシュ 『魔の三角海域 その伝説の謎を解く』 福島正実訳、角川文庫、1975
○ マーチン・エボン編 『バミューダ海域はブラックホールか』 青木榮一訳、二見書房、1975
○ ブラッド・スタイガー 『謎の大消滅』 青木榮一訳、二見書房、1976
○ チャールズ・バーリッツ 『大消滅 その後のバミューダ海域』 南山宏訳 徳間書店、1977
○ リチャード・ワイナー 『魔のバミューダ海域』 青木榮一訳、二見書房、1980
○ と学会 『トンデモ超常現象99の真相』 洋泉社、2006




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