アガサ・クリスティ失踪事件  (1926)




 夫が浮気をする。妻が怒る。かくして家の空気が重くなり、夫はますます浮気相手に依存、妻はいよいよ悲嘆に暮れる。愛娘の存在がそんな2人を辛うじて繋ぎ止めている。1926年当時、アガサとアーチボルトのクリスティ夫妻間で繰り広げられていたのは、かくの如き陳腐な光景であった。

 この頃のアガサは作家として売り出し中であり、同年に発表した第6作『アクロイド殺し』の売れ行きに、自分が作家として一人立ちできるという手ごたえを感じていた。一方、夫の元空軍大佐アーチボルド・クリスティ(通称アーチー)は、軍務を退いてビジネスの世界に転身したものの、思うような成果を上げられず苛立ちを深めており、妻と自分を比較して自尊心を傷つけられる日々。そんな中、彼は地元ゴルフクラブでナンシー・ニールという10歳年下の女性に出会い、すっかり心を奪われてしまう。

 アーチーとナンシーの関係が公然のものとなってもアガサは辛抱強く我慢していたが、やがて破局の日が訪れる。ある日2人の間に大喧嘩が起き、アーチーは言い放った。「週末を彼女と暮らすつもりだし、ちゃんと結婚するつもりでいる」。アガサは同年4月に最愛の母親を亡くしていた。このうえ夫までも……。彼女は夫にティーカップを投げつけ、破局は決定的なものになった。

 1926年12月3日(金)の夜、アガサの秘書兼、娘ロザリンドの家庭教師シャーロットが、ダンスパーティーからスタイルズ荘に帰宅した。すると夜遅くだというのにメイド達が台所でおろおろしている。聞けばアガサが21時45分頃(注1)、行き先も告げず車で出かけたのだという。シャーロットはこの家の不和について熟知している。嫌な予感がした彼女はメイド達を下がらせ、自分は寝ずにアガサの帰りを待つことに決める。だが、アガサがその晩帰ってくることはなかった。以後11日間に渡るアガサ・クリスティ失踪劇の幕開けである。

 12月4日(土)朝8時過ぎ、サリー州ギルフォードの郊外の小道の脇で、フレデリック・ドアという自動車検査係の男が、斜面を滑り落ちて草むらに突っ込んでいるアガサの車を発見した。車内には運転していた筈のアガサの姿は無く、代わりに毛皮のコート、スーツケース、そして彼女の運転免許証が残されていた。11時頃にはサリー州警察本部に事故の一報が入り(注2)、ケンウォード本部長補の指揮による捜索が開始される。翌5日には大捜索が行われ、同日夜にはアガサの失踪を知らせる広告が新聞に大々的に掲載された。

 ミセス・アガサ・メアリ・クラリッサ・クリスティ、35歳(注:実際は36歳)、バークシャー、サニングデールの自宅スタイルズ荘より失踪。身長5フィート7インチ。赤みがかった断髪に白髪が少し混じる。色白でほっそりした体型。グレーのメリヤス編みのスカート、グリーンのジャンパー、グレーの濃淡のカーディガン、ベロアの小さな帽子。パールを一個あしらったプラチナの指輪をはめているが、結婚指輪ははめていない。黒いハンドバッグの中に5ポンドか10ポンド入りの財布。金曜日の午後9時45分に、ちょっとドライブしてくると言い残して自宅を車で出て消息を絶つ。

 失踪に限らず、事件が起きて第一に疑われるのは身内である。捜査と平行してアガサの家族への聞き込みが行われ、当時のクリスティ夫妻の緊迫した関係が白日の下に晒された。気鋭の女流作家の失踪と、その夫の浮気というスキャンダルは、ネタに飢えていたマスコミにとって格好の標的となる。肝心のアガサが失踪しているため、マスコミの矛先は必然的に夫のアーチーに向けられた

 最初は沈黙を保とうとしていた彼も、妻殺しの嫌疑をかけられるに及び、ついに釈明を余儀なくされる。アーチーは新聞記者に対し、妻は自分の意思で姿を消したのではないかと述べた。が、肝心の背景――自分の浮気とその後の夫婦の不和という問題については曖昧に言及を避けたため、記者達は却って疑念を深めることになる。やがて彼が最も恐れていた事態が起きた。ナンシー・ニールの名が新聞に掲載されたのである。

 報道が過熱し不確かな言説が乱れ飛ぶ一方、捜査は思うように進まず、12月12日のおよそ1,500人以上(注3)を動員した大捜索も空振りに終わる。このまま事件は迷宮入りするかと思われた。

 ところが、失踪から11日後の12月14日、あっけなく事件は解決する。ヨークシャーのハロゲート・ハイドロパシック・ホテル(通称ハロゲート・ハイドロ)から、滞在中のテレサ・ニールと名乗る女性客がアガサらしいとの一報が入ったのである。警察とアーチー、そしてどこからか情報を嗅ぎつけた新聞記者達はホテルに急行、アーチーが新聞の陰から遠目で件の女性を視認する。紛れも無い、アガサその人であった。

 夫妻は2人だけで会話を交わし、そそくさとホテルの部屋に引き上げた。そして翌日には人目を避けるように家に逃げ帰り、門は固く閉ざされた。黙っていないのはマスコミ陣である。一体何が起きたのか説明すべきではないかという圧力に圧され、アーチーは記者団の代表者1名に、次のような声明を発表した。

 「彼女は完全に記憶を失っており、自分が誰であるかもわからない状態です。私のこともわからない様子ですし、何故ハロゲートに来ているのかということすらわかっていないのです……」

 しかし幕引きを図りたいという夫妻の意思も空しく、マスコミによる執拗な追求は続いた。事件を知った一般大衆も怒った。記憶喪失とはお笑い種、さんざん世の中を騒がせておいて謝罪の一つも無いのか、捜索にかかった費用はどうするのか。アーチーが裏付けとして、精神科医の「記憶喪失」という診断書を提示するも、心無い非難やジョーク、悪し様な推測は乱れ飛んで止まず、クリスティ夫妻、特に元々内気なアガサは打ちのめされる。この時の経験が彼女の晩年まで続くマスコミ嫌いの遠因となった。

 その後、言うまでもなく2人は離婚した。アーチーはかねてからの希望通りナンシー・ニールと再婚し、アガサはナンシーの名を表に出さないことと引き換えに娘ロザリンドの親権を得る。やがてアガサは考古学者のマックス・マローワンと再婚、その後の彼女の作家としての活躍は、そのまま推理小説史上の輝ける一幕である。『オリエント急行の殺人』、『ABC殺人事件』、『そして誰もいなくなった』等々、その多くの作品が推理小説愛好家の必読書とされている。

 勲章まで得て、作家として功成り名を遂げたアガサの人生において、1926年の失踪事件は唯一の不可解な謎であった。誰もがその謎について、彼女自身の言葉を聞きたがったが、彼女は沈黙のカーテンを張り巡らして一切の疑問を封殺した。インタビューに応じる際も、決して失踪事件に触れないことが条件。1965年に発表した自伝においても、事件について全く触れないという徹底振りである。

 1976年1月、アガサ・クリスティは風邪のため死去。失踪の謎を残したまま、85歳の生涯を終えた。


【考察】

 当サイトで取り上げている多くの失踪事件と異なり、アガサ・クリスティの失踪はごく一時的なものに過ぎない。彼女はすぐに戻ってきて、以後は目覚しい業績を残しているのであり、消えてしまった人々が名を連ねる当サイトにおいて取り上げるのは、自分でも些か違和感を感じないでもない。

 しかし、アガサ・クリスティの失踪は、精神的に追い詰められた者による逃避という、失踪の一つの典型を示しているように思える。失踪に関連する事柄であれば何でも扱おうという当サイトにおいて彼女の失踪を取り上げるのは、決して的外れではないだろう。

■ 記憶喪失説

 アガサ・クリスティの失踪の謎を巡っては2つの立場がある。一つは公式の説明通り、一時的な記憶喪失が原因とする立場。もう一つは、記憶喪失などというものは問題を有耶無耶にするための方便に過ぎず、彼女は最初から何らかの意図の下に計画的に失踪に及んだという立場である。アガサの公式伝記とも言うべきジャネット・モーガン『アガサ・クリスティーの生涯』(早川書房。以下『生涯』とする)は前者の立場をとっており、一般的には記憶喪失説が定説とされているようである。

 記憶喪失説の詳細については、後日アガサ本人が語っているのを見るのが確実だろう。詳細な自伝においてすら失踪について一切触れられていないため、彼女が失踪について一言も語らなかったと思い込んでいる人は多いが、これは事実ではない。事件後、アガサとは無関係のとある裁判において、検察がアガサの失踪を揶揄したことがあり(つまり、当時から多くの人が記憶喪失説を疑っていたのである)、アーチーと離婚調停に臨もうとしていたアガサは、この発言を放置すると調停に当たって不利に働く――最愛の娘ロザリンドの親権がアーチーに行きかねない――と考え、渋々ながら自分の失踪について弁明したのである。

 弁明はジャレッド・ケイド『なぜアガサ・クリスティーは失踪したのか?』(早川書房。以下『失踪』とする)に全文記されている。長いので要旨を箇条書きにする。

  • 夜10時、思いつめてみじめな気持ちで、わずかな衣類をスーツケースにつめ、ハンドバッグに10ポンドほど入れて、車で家を出た。
  • 自殺という考えも頭をよぎる中、一晩中当てもなく車を走らせているうちに、事故を起こして頭を強く打った。
  • それから記憶を失い、気がつくとハロゲートに着いていた。その頃には自分をテレサ・ニールだと思い込んでいた。
  • 自分の失踪を報じる新聞記事は見たが、自分が報じられている当の本人だとは夢にも思わなかった。

 ご覧のとおり、要はとにかく記憶を失って別人格だったのだという一点のみで、大した内容ではない。事件当時の人々はこのような記憶喪失説を眉唾物と受け取った。今日でも状況はさして変わっていない。アガサの失踪事件を紹介する「歴史の謎を探る」系統の書籍では、記憶喪失説を紹介したうえで疑問符をつけるのが通例となっている。

 確かに記憶喪失説はおかしな点ばかりだ。後に判明した事実と照らし合わせると、以下のような疑問点が挙げられる。

  1. 失踪翌日、12月4日の午前3時から8時までの間に、アガサはアーチーの弟キャンベル宛てに手紙(現物はすぐに処分されてしまっている)を出していることが判明している。つまり、その時間帯、彼女は手紙を投函するだけの理性を保っていたということになる。
  2. 手紙には「ヨークシャーの鉱泉保養地に行こうと思っている」旨が記されていた。アガサが発見されたハロゲート・ハイドロはヨークシャーの有名な鉱泉保養地である。
  3. アガサは4日朝、ハロッズ百貨店にダイヤの指輪の修理を依頼し、7日にヨークシャーで受け取っている。明らかに計画的である。また、家を出た際には持っていなかった300ポンドの現金を有し、新しい衣服を身につけていた。どこでどう調達したのか。
  4. ホテルでアガサは「テレサ・ニール」という名を名乗っていた。アーチーの浮気相手のナンシー・ニールを思わさずにはいられない。また、記憶喪失ならば偽名など名乗らず、自分の名を思い出そうと必死になったのではないか。
  5. ハロゲート・ハイドロ滞在中のアガサは大勢の人間に目撃されているが、彼女が取り立てておかしな様子を見せていたという証言は無い。また、取り寄せて読んでいた新聞で自らの失踪事件を報じた記事(大々的に報道されていた)を見て、自分が何者だったか気付かないとは信じられない。

 これら疑問点に対し、『生涯』でジャネット・モーガンは様々に記憶喪失説の弁護を試みているが、到底成功しているとは言いがたい。心理学的に1〜5を満たすような記憶喪失はあり得ると迂遠な主張をするばかり。たまに具体的主張があったと思えば、「数百ポンドを現金で、特殊なポケットつきのベルトに入れて身につけていた」などという、検証不能の妙な主張をするといった具合である。また彼女は、アガサの失踪当日〜翌日にかけての様々な目撃証言を挙げて、「これらの矛盾点を解明し、一致点をみつけることは、ほとんど不可能である」と述べているが、読者を煙に巻こうとしている感が否めない。失踪者の目撃証言などというものは玉石混交、色々なものが集まるに決まっている。ましてアガサの失踪は大ニュースとして報道されたのだからなおさらである。

 ジャネット・モーガンは、その伝記の執筆に当たりアガサの遺族から全面的な支援を得ている、言わば公式のお墨付き作家である。してみれば公式見解の記憶喪失説を主張するのも道理であり、彼女の主張を鵜呑みにするわけにはいくまい。

■ 計画説

 記憶喪失説への反論として登場するのが、アガサは最初から何らかの意図をもって失踪したのだとする計画説である。「計画」が何を意図してのものか、という問題に踏み込んで細かく分類することも可能だが、いずれにせよ夫の浮気問題に思い悩んだうえでの失踪という点で共通しており、一纏めとして問題なかろうと思われる(注4)。

 既に見たとおり、記憶喪失説には数々の疑問が呈されており、それゆえに計画説は支持を集めているのだが、では具体的な証拠があるかといえば、非常に乏しいどころか、全く無いと言っても過言ではない。単に「記憶喪失よりはマシだから」以外に根拠を語れないのが計画説の弱みであった。

 このような状況に一石を投じたのがジャレッド・ケイドである。アガサ・クリスティに関するクイズ番組で全問正解したという生粋のクリスティファンにして、英国推理作家協会会員の彼が新たな証拠として持ち出してきたのは、アガサの義妹で親友でもあったナン・ワッツの娘、ジュディス・ガードナーの新証言であった。

 その主張は、アガサとナンはアーチーを懲らしめるため、共謀して失踪劇を仕組んだというものである。車で家を出たアガサはナンの家で一泊し、必要な準備を整えてハロゲートに向かった。自分がハロゲートに向かった旨の置手紙を残すことで、アーチーにすぐに自分の居場所がわかるようにしたつもりであったが、案に相違して大騒動に発展してしまったのだという。

 後発の研究結果だけあって、数々の疑問点を上手く説明できている。失踪後、ハロゲート・ハイドロにチェックインするまでの空白の時間を上手く説明している。ほとんど着の身着のまま家を出た彼女がどこかで小休止し、ホテル逗留のための準備をしなければならなかったのは間違いなく、義妹ナンの協力があったというのはごく自然に首肯できる。少なくとも特殊なポケットつきのベルトを持ち出すよりは穏当だろう。アーチーの弟に宛てた一見不可解な手紙についても、自分の居場所をほのめかしていると思えば不自然ではない。また、夫への当てつけであればナンシー・ニールと名乗ったのも納得がいく。しかも決して憶測などではなく、ナンの娘ジュディス・ガードナーという証言者を具体的に挙げているのが強い。

 しかしジャレッド説にも難が無いわけではない。問題は彼の記述の仕方にある。

 彼は自説を、ハロゲート・ハイドロでアーチーと再開した際のアガサの言葉として記述している。これは明らかにおかしい。ジャレッドが話を聞いたのはアガサ本人からではない。彼はジュディス・ガードナーから、アガサの義妹で友人であった母が語った話を聞かされているに過ぎない。であれば、ジュディス・ガードナーが語ったところを記述すべきであって、アガサ本人が語ったかのように記述するのは、少なくともノンフィクションを謳った著作としては不適当であろう。第一、あの日アガサとアーチーは2人きりで言葉を交わしたと、当のジャレッド自身がそう書いている。アガサの正確な発言が書けようはずがあるまい。

 このように著作者としてのジャレッド・ケイドの姿勢には首を傾げざるを得ない点があるも、『失踪』が世に出た時、ジュディスはまだ存命中だったのであり、存命中の人間をダシにでっちあげを書くとは思えない。仮に発言が捏造であるとして、ジュディスがジャレッド・ケイドに反論したという話も聞かない。してみると、ジュディス・ガードナーがジャレッド・ケイドにかくの如き話をしたというのは事実であるし、この話に基づくジャレッド説も、未だ価値を減じていないと見るべきであろう。

■ 記憶喪失と神隠し

 記憶喪失説と計画説、一体どちらが正しいのだろうか。ジャレッド・ケイドが記憶喪失に大きな一石を投じたが、その記述がノンフィクションとして粗雑な点もあってか、大きな反響を呼ぶには至っていない。ジャレッド説は知る人ぞ知る状況にとどまっているようである。イギリスのクリスティ協会も『失踪』を無視しているらしく、会長のマシュー・プリチャード(アガサの孫)などは本書が発売された当時、不買運動を呼び掛けていたそうである。もっともこれは失踪説を否定されたこと以外に、アガサの2度目の結婚生活について否定的に書かれたことが大きいようであるが。

 失踪の謎解きを愛好する自分みたいな者にとって今日の状況は釈然としないものがある。が、多くのアガサ・クリスティファンにとってはそうでもないようである。本項を書くに当たって数々のアガサ・クリスティにまつわるサイトを見てみたが、失踪事件に関して突っ込んだ記述はほとんどない。今なお記憶喪失説が通説とされている。

 何故、一見矛盾だらけの記憶喪失説がいつまでも長らえるのだろうか。その理由は2つ考えられる。1つはアガサ本人がそう主張していたからというもの。彼女を敬愛するファンなら、アガサ本人が触れられるのを生涯拒み続けた失踪事件について触れないのが礼儀なのだろう。私もファンの端くれであるが、本項を執筆しながら、どことなく後ろめたい思いをせずにはいられなかった(注5)。故人の過去の恥部を根掘り葉掘り追求するのは、まさに当時のマスコミと同じではないか、と。

 もう1つの理由、それは、「記憶喪失」という説明は真実をぼやかすのに丁度良いからである。なるほど、記憶喪失説は疑問点だらけであるが、さりとて全く馬鹿げているとまでは言い切れないところがある。高度に発達した心理学的見地からすれば、それが妥当か否かはともかく、アガサの失踪に相応の理由付けを行うことができる。それは時として心理学を些か眉唾物と思っている人々(私含む)にとって無理筋の感がしなくもないが、しかし完全否定はできない。完全に否定すれば、それは現代の心理学への挑戦である。そこまでの暴論を吐くのは、少なくとも私にはできない。結局、「そんなことも起こりえたかもしれない。真相はわからない」といった結論に落ち着いて、真実は霧の中に閉ざされる。

 これは日本における「神隠し」の構造とよく似ている。神隠しというと原因不明の失踪事件というイメージが強いが、実際には、事故や殺人、誘拐や自発的な家出を考えれば片付くケースが多かったことだろう。昔の人とて、100人が100人、天狗や狐に化かされたなどという説明を信じ込んでいたわけではない。背後の事情に薄々感づいていた者もいただろう。だがそれを「神隠し」として処理することで、共同体は消えてしまった者や帰ってきた者を、「神隠しだから仕方ない」と、一種の諦念と共に受け入れていた。神隠しとは、言わば「事実を隠蔽するためのヴェール」(小松和彦『神隠しと日本人』)なのである。

 本当に記憶喪失であったにせよ、義妹ナンとの共謀であったにせよ、失踪事件はアガサにとって恥ずべき生涯の痛恨事であった。可能ならば隠して闇に葬りたい過去であった。仮に200年前の日本の農村においてアガサの失踪事件の如き事件が発生すれば、それは恐らく「一時的な神隠しに遭った」として処理されたことだろう。イギリスなら妖精の国に紛れ込んだとでもされたところか(注6)。だが20世紀の時代、「神隠し」という言葉にそのような力はない。今日、超常的な何かによって神隠しに遭ったなどという説明を真面目に受け取る者はいないからである。

 こうして「神隠し」が死に、代わる説明として「記憶喪失」が誕生した。外界に超常的な何物かを求めた時代から、人の内面、すなわち心の領域に何物かを求める時代に移り変わったことを、アガサ・クリスティ失踪事件から読み取るのは穿ち過ぎな見解であろうか。

 


(注1)
 『生涯』では23時頃の出来事とされているが、失踪を知らせる新聞広告に午後9時45分と記されており、同書が誤っているのは明らかである。『なぜアガサ・クリスティーは失踪したのか?』(早川書房。以下『失踪』とする)の著者ジャレッド・ケイドは、この件について名指しでジャネット・モーガンを否定している。

(注2)
 『失踪』では午後11時(つまり23時)のこととされているが、翌朝には本格捜査が始まっていることを考えるとあまりに遅すぎる。単に午前・午後を間違えただけだろう。『生涯』では午前11時のこととされている。

(注3)
 『失踪』P140「おのおの30人から40人から成る捜索隊が全部で53隊」とあるのを参考にした。

(注4)
 一風変わった計画説のバリエーションとして、失踪はアガサの売名行為だったとする説がある。が、彼女の内気な性格を考えると、このような大胆な真似をしてまで宣伝行為に及ぶとは到底考えがたいうえ、その後のマスコミへの沈黙について説明がつかない。ワイドショー的な悪意が込められた説として度外視してよかろうと思う。

(注5)
 念のため述べておくと、記憶喪失であれ計画的であれ、失踪という行為についてアガサ・クリスティーを責めるつもりは筆者には毛頭無い。原因となった夫アーチボルト・クリスティの振る舞いは度し難いものがあり、アガサが耐えかねたのも無理はないだろう。

注6)
 海外においていわゆる神隠しがどう受容されてきたかについては残念ながら調査不足であるが、調べていけば日本と同様の状況が見られるのではないかと考えている。妖精が異界との懸け橋として働いている例をデイビッド・ラング失踪事件で若干紹介している。参照されたい。

【参考文献等】

○ ジャネット・モーガン著 深町真理子・宇佐川晶子訳 『アガサ・クリスティーの生涯(上)』 (早川書房)
○ コリン・ウィルソン著 関口篤訳 『世界不思議百科』 (青土社)
○ 井出守 『迷宮入り事件の謎』 (雄鶏社)
○ ジャレッド・ケイド著 中村妙子訳 『なぜアガサ・クリスティーは失踪したのか?』 (早川書房)
○ 乾信一郎訳 『アガサ・クリスティー自伝(下)』 (早川書房)
○ 世界博学倶楽部 『世界史迷宮入り事件ファイル』 (PHP文庫)
○ 歴史のふしぎを探る会、編 『歴史人物から読み解く世界史の謎』 (扶桑社文庫)




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