藤代バイパス車両失踪事件  (1963)




 1963(昭和38)年11月19日、富士銀行葛飾支店の支店長代理が運転する車が、同銀行次長と得意客の計3人を乗せ、茨城県竜ヶ崎市のゴルフ場に向けて出発した。天気は快晴、良いゴルフ日和である。

 3人の乗る車の前方を、東京ナンバーの黒いトヨペット・ニュークラウンが走行していた。後部座席には年配の男が乗っており、座席に寄りかかって新聞を読んでいた。この車は葛飾区金町付近から3人の前を走っていたため、3人とも印象に残っていたのである。午前8時過ぎ、2台の車が水戸街道の松戸市、柏市を過ぎ、藤代バイパスを走行中、それは起こった。

 150メートルほど前を走行していたトヨペット・ニュークラウンから、突然白い煙あるいは水蒸気らしき気体が噴き出したのである。謎の気体は5秒程度で消えたが、次の瞬間、3人は驚愕した。前方の車が影も形も無く消えうせていたのである。

 急カーブも横道も無い直線道路であり、知らぬ間に車と分かれたとは考えられなかった。目撃した3人は、決して見間違いなどではないと主張しているという。


【考察】

 日本の古典的な失踪事件である。内容的にはさして興味を惹くものではないが、当該事件の記事が1964年3月4日の毎日新聞夕刊に掲載されており、この手の話としては比較的まともな出典があるのが特徴と言えよう。こういう怪現象といったものが信憑性のあるメディアに登場するのは稀であり、その点、異彩を放っている事件である。

 しかし、この事件を伝えているのは通常の記事ではなく、「赤でんわ」というコラム欄である。単に新聞に掲載されたと聞くと極めて信憑性が高そうに思えるが、コラムとあっては必ずしも信憑性があるとは限るまい。

 この新聞記事と一般に伝わる事件の内容とを比較すると、色々興味深い点に気付く。

■ 佐藤有文本と新聞記事の比較

 佐藤有文という人がいる。氏は四次元や妖怪といった類のジャンルではちょっとした有名人で、子供向けのインパクト絶大な怪奇本を多数執筆、多くの子供たちにトラウマを与えたことで知られている人物である。この手の話では大家の一人といって良い。その氏が2冊の書籍、『ミステリーゾーンを発見した』(1976)及び『謎の四次元ミステリー』(1990)でこの事件を紹介している。

 1964年の毎日新聞の記事に直接目を通した、あるいは記事を覚えているという人は恐らく少数だと思われることから、この怪現象の大家の手による紹介が最も人口に膾炙していると判断して差し支えあるまい。ところが、この佐藤氏の紹介には、新聞記事には見られない内容が幾つか付け加わっている。以下、箇条書きにすると――

(1)佐藤本では行員について、「富士銀行葛飾支店に勤めていた支店長代理の木下さん(当時38歳)と同銀行の斉藤さん」としているが、記事では「某銀行の次長(38)と支店長代理(39)」とされているのみで、銀行名や個人名は全く記載されていない。また、当時38歳であったのは支店長代理ではなく、もう一人の次長の方である。

(2)佐藤本によると事件は1963(昭和38)年11月19日のこととされているが、記事では午前8時という時間が出てくるものの、正確な日付は不明である。

(3)佐藤本には「木下さんと斉藤さんが、その車が蒸発したらしい地点を見てみると、なぜか、そのへんだけが水をまいたように濡れていた」という記述があるが、そういった記述は記事には無い。

 要するに、佐藤本には尾鰭がついているのである。本では明確に毎日新聞について触れており、内容も記事と非常に似通っていることから、佐藤氏が新聞記事に目を通していないとは考えにくい。となると考えうる可能性は2つ。佐藤氏が独自の取材で新たな情報を入手したか、あるいは細部をでっち上げたかである。

 恐らく後者だろう。佐藤有文という人はありもしない妖怪・怪物の類を数多く創作していることで名高い。西洋人が想像で描いたアルマジロの絵を「鉄獣イバク」なる怪物として紹介したり、「塗り仏」という妖怪を描いた江戸時代の絵を、「びろーん」なる妖怪として紹介(絵の脇にはっきり「塗り仏」と書いてあるにも関わらずである)したりしているといった具合である(注1)。コラムの登場人物の勤務先や個人名を付け加えるなどお手の物に違いない。

 こうした氏の姿勢を、私は必ずしも全否定するものではない。子供向けの本でやらかしたことであるし、実際、氏の創作した妖怪の幾つかは、今日では多くの人の記憶に残って支持されているのだから。だが、それはそうとして、氏の記述を全面的に信じる訳にはいかないし、そんな必要も無い。

 結局、現時点で当該事件に関し検討の余地が残されているのは、毎日新聞の記事だけである。しかし、その記事ですらも先述した通り、あくまでコラムという扱いでしかない。コラムを書いた当の記者に話を聞けば真相が明らかになるかもしれないが、無記名のコラムで、しかも40年以上昔の話とあっては、問題の記者を突き止めるのも困難であろう。




(注1)
 氏の創作した妖怪は、他にも「はらだし」、「投げ捨て魔人」など、枚挙に暇が無い。氏について記載したサイトは多数あるが、取り敢えずhttp://www.kyoto.zaq.ne.jp/e_fuji/を挙げておく(「B級妖怪図鑑」を参照)。

【参考文献等】

○ 『ミステリーゾーンを発見した』 佐藤有文著、1976 (KKベストセラーズ)
○ 『謎の四次元ミステリー』 佐藤有文著 (青春出版社)
○ 昭和39年3月4日 毎日新聞 首都圏版(夕刊) 第6面

(2012.9.5追記)
 問題の1964年3月4日の毎日新聞「赤でんわ」の記事を以下に引用する。

 目の前を走っていた車が突然現れた白煙?とともに消え失せた――忍法ばやりの昨今、まさにこれは“忍法、車の蒸発”という話。某銀行支店の次長(38)と支店長代理(39)、それに連れの常連客の三人がある晴れた朝、この不思議な現象を目撃。いまだにわが目を疑っている。
 午前八時過ぎ、支店長代理が運転する乗用車は、茨城県竜ケ崎市のゴルフ場に向け水戸街道の松戸市、柏市を過ぎ藤代バイパスを快走していた。そのとき百五十メートルほど前を走っていた乗用車のあたりに白煙とも水蒸気ともつかぬガス状の気体が噴出し、すぐ薄らいで消えた。この間、わずか五秒くらい。三人はあっと息をのみ、同時に叫んだ――「車が消えた!」
 消えた車は東京ナンバーの自家用車で、黒塗りのトヨペット・ニュークラウン。後ろの座席の左側で年配の男がクッションをまくらに新聞を読んでいた。水戸街道の葛飾区金町付近から前を走っていたので三人はよく覚えていた。科学時代の現代「誰にも信じてもらえそうもない現象だが、車は確かに目の前で影も形もなくなった」と三人は力説している。

 これで全部である。何の日付もなければ、登場人物も不詳。全国紙にこのようなコラムが載るとは、おおらかな時代であった。
 『怖い噂の真相』で小松和彦が非常に興味深い指摘をしている。藤代バイパス事件が起こったとされる1963年11月19日に、愚連隊が重症の男を路上に置き去りにするという事件が発生。翌11月20日の毎日新聞が報じるところによると、この愚連隊連中はわざと事故を起こして被害者から金を巻き上げるという犯行を繰り返しており、犯行に当たっては足のつかぬよう、転売車を使用していたのだが、この置き去り事件に使用されていた車が黒いトヨペット・クラウンだったのである。事件の発生日時と登場する車が一致しており、偶然とは考えにくい。転売を重ねた黒塗りのトヨペット・クラウンは警察が押収したとされているが、実はそれは身代わりの車で、本当の黒いクラウンは他のもっと重大な犯罪にも使用されており、証拠物件を秘密のベールで覆い隠すために怪談が利用されたと示唆されている。
 しかし、上で指摘済みのとおり、藤代バイパス事件は本来発生年月日が明らかでない。1963年11月19日という日付が登場するのは、『怖い噂の真相』によれば1976年2月25日の「女性セブン」の記事であり、事件が起こったとされる年から13年も後のことである(ちなみに佐藤有文『ミステリーゾーンを発見した』は1973年6月5日初版発行。女性セブンとの関連は不明であるが、佐藤有文が藤代バイパス事件のティテールを捏造したとする上の記述は些か拙速だったかもしれない。氏の前に先行者がいたかもしれないからだ)。第一、押収車が身代わりというのは小松氏の憶測に過ぎない。
 怪談の影に隠蔽したい実際の出来事が、というのは注目すべき視点であり、実際、私も「線路から消えた人影」ではそういったスタンスをとっている。だが本件に関しては、後から日付をでっちあげるに当たって同じ車が登場する事件を利用しただけではないだろうか。どちらの事件も同じ毎日新聞が報じている
点は注目されてよい。新聞をパラパラとめくって目についた、という可能性もあろう。




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