線路から消えた人影




(類話1)
 1996年10月16日、JR山手線・御徒町駅のホームにOLらしき女性が飛び込んだ。列車は急停車し、駅員が車両の下を確認したが、そこには遺体はおろか血痕すら残っていなかった。(『FLASH』(1996年11月12日・19日合併号))

 このような駅や線路において見かけた筈の人影が忽然と消えてしまうという事件は日本全国で度々発生している。以下に幾つか紹介しよう。

(類話2)
 2003年8月12日、東北線・清水川−狩場沢間を走行 していた青森発八戸行き回送列車の運転士が、前方の線路内にリュックサックを背負った老女がいるのに気付き、急ブレーキをかけて停止した。警察に連絡、救急車も手配したが、老女の姿は無く、列車に衝突の痕跡も無かった。(東奥日報)

(類話3)
 2007年8月19日、名古屋市北区の地下鉄名城線・志賀本通駅構内で、小学生くらいの男児がホームから線路上に降りたのを車掌が発見。列車の運行を止めて周辺を捜索したが、男児の姿は発見できなかった。(2007年8月20日 読売新聞)

(類話4)
 2007年12月13日、東北線・東青森−青森駅間の青森市奥野付近で、線路上に老女がしゃがみこんでいるのを運転士が発見。緊急停止して駅員や警察官らが周辺をしたが、老女の姿は発見できなかった。(2007年12月15日 毎日新聞)

(類話5)
 2010年5月8日、東京都杉並区西荻南のJR中央線・西荻窪駅で、東京発高尾行き普通電車が停車する直前、ホーム上の男性が線路に転落、「ドーン」という音がしたため駅員らが周辺を捜索したが、男性の姿はなかった。(2010年5月8日 読売新聞)

(類話6)
 2010年8月1日、野々市町のJR北陸線野々市駅で、通過予定の名古屋発富山行き特急「しらさぎ1号」 が急停止した。運転士によれば、ホームから飛び降りた人を撥ねたとのことであったが、先頭車両左側に設置されている乗務員用の鉄製ステップが前方から押されたように曲がっていたものの、けが人はどこにも見つからなかった。(北國新聞)


 以上、新聞や週刊誌等のソースがはっきりしている事件のみを挙げた。実際にはもっと数多くの事件が伝えられていることだろう。



【考察】

 いわゆる幽霊譚であり失踪事件とは趣が異なるが、人が忽然と消えるという現象であれば何でも無節操に取り上げるというのが当サイトのスタンスである。この手の話題は既に「消えるヒッチハイカー」でも取り上げていることでもあるし、細かいことは気にせず考察してみることとしたい。

■ 事件として

 まず指摘したいのは、具体的な情報を手に入れたうえで「事件」として見れば、不思議でもなんでもないケースがあるということである。

 例えば類話3、志賀本通駅で起きたというケース。事件を報じている2007年8月20日の読売新聞中部版を見ると、「駅員がホームを捜索した際、男児3人がいたため声をかけたが、「知らない」と答えたという」という記述がある。何のことはなくて、その場に疑わしい男児は確かにいたのである。十中八九、この悪ガキらの一人がふざけて線路に降りたと思って間違いないだろう。ただ線路に降りた男児と同一だという証拠が無いため、駅員もそれ以上追及できなかっただけの話だと思われる。

 西荻窪駅で起きたという類話5のケースにしても、読売新聞が報じるところによると、「警視庁荻窪署は、男性が持っていたバッグが車両に接触した可能性があるとみて調べている」というから、これも特段不思議な話ではない。類話6も北國新聞によれば、「(運転士は)飛び降りる 瞬間は目撃していなかった」とあるから、これも些か心許ない話である。

 類話1は今はなき写真週刊誌『FLASH』(1996年11月12日・19日合併号)で特集された事件であり、この手の事件としては最も有名な古典に属する。が、記事を見る限り、はっきりと女性が飛び込んだところを目撃したという証言はなく、女性が着ていたという服も、運転士は青い服と主張する一方、警官のメモには「グレーっぽい服装」とされており矛盾している。

 上記概略において、私は意図的にこうした重要な事実を伏せて記述した。細部を切り離して、単に「人影が消えた」という現象だけ語れば怪談のように見える話も、実際に記事に当たって具体的な事実を知ればつまらない話であったりすることがお分かりいただければ幸いである。

■ 怪談のメリット

 勿論、全ての事件が以上のようにあっさり解決するわけではない。多くは結局のところ原因不明である。ではその時、運転士は一体何を見ていたのだろうか。

 ――まあ、当の運転士を含め、誰にもわかるまい。列車の運行とは長時間の緊張を要する大変な仕事である(最近は運転中に携帯電話をいじったり漫画を読んだりする不心得者もいるようであるが)。疲労から何かを見間違えたか、軽い幻覚でも見たのだろうと私は確信している(注1)。が、見間違えた「何か」が何であるかは、これはもう解決しようのない問題であろう。

 運転士はプロとして、「そんな筈はない。確かに人影を見た」と反論するかもしれないが、人間の記憶や知覚というものはあてにならぬものである。プロだって時には間違いを犯す。法医学には「接触は痕跡を残す」という大原則があるという(コリン・エヴァンス『不完全犯罪ファイル』(明石書店))。本当に人が撥ねられたりぶつかったりしたのであれば、そこに鉄の一片、血の一滴、痕跡の一切も残さないというのはありえない。丹念な捜索にも関わらず、そこに何の物理的痕跡も発見できない以上、気の毒だが運転士は何かを見間違えたと断ずるほかない。

 従って本件は本来、過失として指弾されるべき問題である。が、ここで上手い具合に幽霊話が持ち上がった。鉄道会社としてはこれに乗らない手は無い。過失の目くらましにはもってこいだからである。無論、表立って堂々と幽霊を認めるわけにはいかない。この21世紀の世に何をぬかすのかと指弾されるのが関の山である。「運転手は確かに見たそうですが……」といった当たり障りのないコメントでお茶を濁し、後は世間の口に任せる。かくして幽霊譚が完成、鉄道会社は失態を隠せて安堵し、世間は暇つぶしができるというわけである。

■ 颯爽と消えた彼は何処に?

 だが見間違いなどでは解決できない謎の事件が存在する。2002年7月2日に発生した次のようなものだ。

(類話7)
 神戸市東灘区のJR住吉駅で、時速百キロもの猛スピードで通過する新快速電車から男がホームに飛び降り、立ち去っていたことが三日、兵庫県警の調べで分かった。男は居合わせた客の視線を気にせず、何事もなかったように歩いて姿を消したという。
 県警は、鉄道営業法違反の疑いで行方を探しているが、警官らも「こんな『途中下車』は聞いたことがない」と首をかしげるばかりだ。
 二日午前十時四十五分ごろ、同駅ホームで、近江今津発姫路行き新快速電車から、赤い服を着た若い男が飛び降りるのを複数の人が目撃。男は勢いで鉄製フェンスに激しくぶつかったが、そのまま改札口の方に歩いていったという。
 一方、電車内では、連結部付近で人の手や足が見えているのに気付いた乗客がいたが、「ドン」という音とともに姿が消えたという。
 JRから通報を受けた東灘署や県警鉄道警察隊などが周辺を捜索。病院や医療機関にもあたったが、該当する人物はいなかった。
 JRによると、新快速の最高時速は約百三十キロ。駅の通過時はややスピードダウンするが、それでも百〜百十キロは出る。車両は窓が開かず、停車駅で連結部にしがみついたとみられる。担当者は「新快速から飛び降りて大きなけがもないなんて…。ミステリーだ」と目を白黒させている。

(2002年7月4日 神戸新聞ニュース)

 複数の目撃者が存在しており、単なる見間違いである可能性は低い。また、衝突して歪んだ鉄製フェンスを確認したという報告例も散見される。実話であろう。時速100kmで走行する列車から飛び降りながら無事で済むとは驚くべき身体能力である。しかも「赤い服」で、「何事もなかったように歩いて姿を消した」ときている。まるでルパン3世のようではないか。驚嘆すべき話である。

 もっとも実際のところはどうであろう。これは単なる私の想像だが、彼は痛みに耐えて毅然と歩き、周囲の人の目が届かない場所まで来るや、あらゆる緊張の糸が解け、脂汗を流しつつ、苦悶の表情も露わに帰宅の途につき、病院にも行かず、養生のためじっと体を横たえ、己が愚行に対する自責と後悔の念に押しつぶされていたのではないか。明らかに酒に酔っている人間ほど「俺は大丈夫」などとのたまうように、彼もその実、向う見ずな行動の果てに相当の苦痛を味わいつつも、逆にその気恥ずかしさから、誰の助けも借りず立ち去るという道を選んだのだろう。勿論、人に捕まればただでは済まないという判断もあったに違いない。が、事情はどうあれ、頑健な肉体と精神を併せ持つ彼の超人性が減じられることにはならない。

 あまりに破天荒な事件であるため、度胸試し、あるいは売名行為ではないかという疑念にも駆られるが、その可能性は低いように思われる。騒ぎを起こさないよう静かに立ち去っており、その後名乗り出るようなこともしていないからである。もっとも世の中には20cmほどの魚を生きたまま飲みこもうとして窒息死したり、オートマチック拳銃でロシアンルーレットを行ったりと、凡人には想像もつかない独創的な愚行を実践して命を投げ捨てる人々が少なからずおり(注2)、彼もその一人に過ぎないという冷笑的な見方もできなくはない。しかし本件に関しては単なる向う見ずな愚行という訳ではなく、相応の目的があったのだと私は考える。目的があろうとなかろうと、愚行は愚行と言われればそれまでであるが……。

 ではその目的は何か。ここで推理は行き詰る。「車両は窓が開かず、停車駅で連結部にしがみついたとみられる」とあるので、彼は住吉駅より前の駅で列車にしがみつき、住吉駅でダイナミックな途中下車を行ったということになる。よほど住吉駅まで行きたかったのだろう。タクシーでは駄目だったのか。一本電車を待つという判断はできなかったのか。電車一本遅らせられない相当の事情があったのか。だとしても命を賭すほどのものなのか。そもそも、怪我をしたのでは用件は果たせないのではないか? 疑問は尽きない。

 ネットが普及し、溢れる情報を手軽に検索できる世の中である。この男も死んでいるのでなければ、自分が主役となったこの事件が、あちこちで言及されていることについて知っていてもおかしくはない。自分が英雄視される様子を見れば、まんざら悪い気分はしないことだろう。

 いずれこの雑文も目にされる機会が来るのを見越して、謎のあなたに申し上げたい。決して名乗り出たりなさいませんよう。謎の人影が時速100キロの列車から飛び降り、苦痛を色に出さず、颯爽と去ったという点にこの事件の魅力はあり、あなたがどんな容姿で、どんな立場の人であろうと、正体が明らかになった途端、魅力は粉々に打ち砕かれ、露となって消えてしまうのです。全てを蛍光灯の光に照らすのではなく、謎は謎のまま、夢は夢のまま宵闇の中に。スポットライトを浴びようなどと、くれぐれもお考えになりませんように。



(注1)
 事例のいくつかは「ハイウェイ・ヒプノシス」で説明がつくのではないかと思われる。当該現象については「消えるヒッチハイカー」を参照されたい。

(注2)
 魚を飲みこんだ男の話はエドゥアール・ロネ『変な学術研究2』(早川書房)、ロシアンルーレット(?)の話はダーウィン賞による。「ダーウィン賞」とは、「愚かな行為により死亡する、もしくは生殖能力を無くすことによって自らの劣った遺伝子を抹消し、人類の進化に貢献した人」に皮肉を込めて贈られるインターネット上のジョークである。公式サイトも存在する


【参考文献等】

○ 小池壮彦 『幽霊は足あとを残す』 扶桑社、1999
○ 『怖い噂の真相』 ミリオン出版、2009

○ Wikipedia 「住吉駅」の項(2011.12.18閲覧)




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