自衛隊機乗り逃げ事件  (1973)




 1973年(昭和48年)6月23日午後9時前、栃木県宇都宮市の陸上自衛隊宇都宮分校の滑走路から、暗雲立ち込める南の夜空に向かって1機の航空機が飛び立った。夜間訓練でも緊急発進でもない無断飛行である。分校は騒然となった。

 格納庫からはLM1型連絡機、そして分校内からは隊内のクラブでビールを飲んていた整備員、菅野行夫三曹(20)の姿が消えていた。どうやら彼が格納庫から航空機を発進させたらしい。陸上自衛隊では過去に火災により航空機を亡失したことがあり、いざという時に航空機を他の場所に移せるよう、格納庫には外からかんぬきをかけるのみで、施錠は行っていなかったのである。それが完全に裏目に出た格好となった。

 菅野三曹が持ち出したLM1には1,300km分、およそ5時間20分飛行できる燃料が積まれていたが、当の飛行士は飛行訓練を受けておらず、飛行経験としてはおよそ6時間半、副操縦士席に整備員として搭乗したことがある程度。夜の曇り空を飛行するには明らかに技量不足である。分校は航空無線で連絡を試みたが、無線の使い方を知らないためか、それとも意図的にか、三曹からはついぞ返答は無かった。

 直ちに捜索が開始されたが、宇都宮分校及び航空自衛隊北部・中部航空警戒管制団のレーダーで同機の姿を捕捉することはできなかった。これは機がかなりの低空を飛行していることを意味する。その後も自衛隊、警察、海上保安庁は、機が栃木県から南〜南東方向に向かっていったという推定の下、合同で約1か月に渡り太平洋上を捜索したが、同機の破片一つ見つからずじまいであった。

 共犯の存在も疑われ調査が行われたが、その存在を裏付ける証拠は見つからず、自衛隊当局は、菅野三曹が酒に酔った挙句に起こした事件と判断。結局、菅野三曹は生死不明のまま懲戒免職、学校長以下関係者7人がごく軽い処分を受け、調査は終わりを告げた。


【考察】

 空に飛び立ったまま姿を消す。こう書くと神秘的であるが、実際には航空機の失踪というものは陸上や海上の失踪と比べ神秘性が低い。いずれは必ずどこかに落ちていかねばならないのが航空機の宿命だからである。無事に着陸できたのであれば他人に気付かれないのは難しく、無事に着陸した様子がなければ搭乗者は死亡した可能性が高い。無事生還か、さもなくば死か。航空機の失踪の結末は大概その二択に尽きる。今なお失踪後の運命について議論が分かれる女性飛行家アメリア・イヤハートは稀有な例外である。

 それでも、自衛隊機が乗り逃げされ行方不明という事件はやはり異常であり、特筆するだけの価値はあるだろう。今日ではあまり話題にもならず、すっかり忘れ去られた観のあるこの事件について、紹介のついでに少し考察を加えてみたい。

■ 何故飛び立ったのか?

 まず動機である。菅野三曹は事前にビール3本を空けていたとされている。アルコール血中濃度と酔態を解説しているサントリーのサイトによれば、ビール大瓶3本を飲んだ時の血中濃度は0.16から0.30%。これは「酩酊初期」とされ、気が大きくなる、大声でがなりたてる等の様相が見え始める頃だという。これ以上の濃度となると千鳥足になるというから、酒の勢いで突飛な行動に出るには丁度良い酔い頃合であると言える。

http://www.suntory.co.jp/arp/main/what.html より

 しかし、いくら突飛な行動といっても、今回の場合は飛行機の無断操縦である。終電に乗り遅れたり窓ガラスを割ったりするのとは次元が違う。いくら酒の勢いとはいえ、そこまでやるかという疑問は誰しもが抱く。そこで、実は菅野三曹は酔ってなどおらず、何らかの意図で自発的に脱走したのではないかという仮説が生じうる。

 だが脱走説は動機の点で弱い。わざわざ航空機で派手に脱走する必然性が全く無いのである。脱走したいなら、何も不得手な航空機で飛び立ちなどせず、休日に勝手に姿をくらませばよい。秘密情報を盗み出し、急ぎ脱出するというハリウッド映画ばりの展開を想定でもしない限り、敢えて航空機で脱走した点を説明することは難しい。

■ どこに落ちたのか?

 昭和48年7月の参議院内閣委員会における当時の防衛庁人事教育局長、高瀬忠雄氏の発言によると、菅野三曹の飛行経験はLM1型機で2時間10分、ヘリコプターが4時間35分の、合計たった6時間45分。しかもいずれも整備員としての搭乗経験でしかない。単独で夜間飛行できただけでも奇跡的なのであって、無事にどこかに着陸できたとは到底思えない。レーダーにより機体を捕捉できなかったことから、政府は同機がかなりの低空を飛行、すぐに墜落したと考えている。

 では、どこに墜落したのか。機体は南に向かって飛び立ったとの事だが、墜落地は東の方向、栃木県東部、あるいは茨城県沖の太平洋方面と推定されている。これはLM1型機が単発プロペラ機であり、プロペラ回転に伴い左旋回する癖があることを考慮してのことだという。

 機体の残骸一つ見つからなかったという事実は、機が海に墜落した可能性が極めて高いことを意味する。陸地に墜落したのであれば狭い日本のこと、誰にも気付かれず、何も見つからないというのは考えにくいからである。そして、その海が茨城県沖の太平洋というのはかなり可能性が高いのではないか。茨城県沖は栃木県から最短の海だからである。東京湾や日本海方面は距離が遠すぎる。そこまでの間を低空飛行し続けられたとは思われない。

 海に墜落したとして、全く墜落の痕跡が見つからなかった点を疑問に思う向きもあろうが、こうしたことは海の事故としては決して珍しくない。ワラタ号の事例でも船の破片一つ見つからなかった。船舶ですら痕跡を残さずして消え去ってしまうことがあるのである。小型飛行機などそれこそ大海一滴、どこに消えても不自然ではない。

 結局、今となっては菅野三曹が何を思い、どこに消えたのかを解明するのは不可能であろう。

 公式見解通り酒に酔ったゆえの行動だとして、酔いが覚め、自分が空飛ぶ棺桶の中にいると気付いた彼の心境を思うと同情せずにはいられない。左右上下のいずこにも、助けを求める相手はどこにもおらず、無線から声は聞こえど返答不能。さりとて動転してもいられない。少しでも長生きしたければ、慣れない手つきで操縦桿を握り締め飛び続けるのみ。それでも最後に待っているのは暗黒の海へのダイブという確実な破滅である。酒で身を滅ぼした例は数あれど、この時の彼ほど酒で恐ろしい目に遭った例は古今絶無に違いない。




【参考文献等】

○ 事件・犯罪研究会編 『明治・大正・昭和・平成 事件・犯罪大事典』 東京法経学院出版、2002
○ 昭和48年7月12日 参議院 内閣委員会 議事録
○ 昭和49年11月7日 参議院 決算委員会 議事録
 (国会議事録は「国会会議録検索システム」http://kokkai.ndl.go.jp/により検索)




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